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目次 特集した番組 アーカイブス・カフェ座談会 著作権Q&A NHKアーカイブスからのお知らせ

特集した番組

明るい農村(1)
食と農の原点を見つめた22年
昭和38年4月1日〜昭和60年3月31日
 「明るい農村」は、「のびゆく農村」に続く本格的な農事番組として、1963(昭和38)年にスタートした。当時は高度経済成長のまっただ中で、日本の農業は大きな転換期を迎えていた。農村から都市への労働力の移動、つまり農村の過疎化が急速に進んだのである。その後、70(昭和45)年から始まった米の減反政策は、戦後一貫して増産に努めてきた農家に大きな影響を与えた。「明るい農村」はこうした戦後の農業の変貌を克明に見つめてきた他に例をみない番組である。

「明るい農村」◆総合テレビで22年間放送された。総本数8030本、延べ3345時間に及ぶ。当初、月曜から土曜まで毎朝6:20〜6:40の放送であったが、日曜日に放送が追加されたり、再放送枠が設けられたりした時期があった。

はじめに

 終戦後の放送は、GHQの占領政策である5大改革の周知のために大きな役割を負いました。5大改革とは、「参政権の付与による女性解放」「労働組合の組織奨励」「教育制度の民主化」「秘密審問組織の廃止」「経済制度の民主化」です。中でも「経済制度の民主化」の重要な柱のひとつが「農地改革」であり、農村を変革していくためには農業番組の存在が不可欠でした。終戦直後には「農家の時間」「農家に送る夕」、昭和23年には「新しい農村」「早起き鳥」、昭和24年には「農家のいこい」と次々に新番組が登場しました。これらの番組は当然、食糧増産と農村の近代化を推し進めるものでした。
 「明るい農村」は、この流れを汲むテレビ番組ですが、日本の経済成長期に始まっただけに、数奇な運命をたどることになります。そして、「農業」という産業を見つめ続けた制作者たちの胸中も複雑でした。
 今月の「アーカイブス・カフェ」も、テレビ全盛期を築いた先輩たちの熱い思いが伝わってきます。ぜひ、お読みください。

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アーカイブス・カフェ座談会


[第3回]アーカイブス・カフェ座談会
明るい農村座談会(1)
戦後日本の理想を求めて

参加者紹介
今回は、「明るい農村」の制作を担当されていた方々です。
原 安治さん 原 安治さん(66歳、ディレクター)
昭和37年入局、昭和41年〜59年に担当。デスク、プロデューサーなど一貫して「明るい農村」のリーダーを務めた。その間「マッカーサー元帥への手紙〜農地改革30年〜」「再会〜35年目の大陸行〜」「人間は何を食べてきたか〜“食”のルーツ5万キロの旅〜」など30本あまりのNHK特集を企画、制作した。
関 孝夫さん 関 孝夫さん(63歳、ディレクター)
昭和41年入局、昭和44年〜60年に担当。特に昭和50年代初めの200海里をめぐる動きをめぐって、日本漁業のあり方を考える番組「NHK特集・吠える北緯60度線〜すけそうだら漁船同乗記〜」など多数企画、制作した。
大橋昭喜さん 大橋昭喜さん(57歳、ディレクター)
昭和49年入局、昭和49年〜60年に担当。北海道の酪農家の負債問題を継続取材し、ラジオ「早起き鳥」、テレビ「明るい農村」、「NHK特集・北の大地にみた夢〜根釧パイロットファームの30年〜」へと発展させるなど、多様な農業、農村問題を扱った番組を制作した。
   

農村の民主化と食糧増産めざして

大橋 「農事番組」というのは、そもそもなぜ始まったのかというところから、話を始めたいと思いますが、これはやはり原さんから伺いましょう。
 終戦直後、農家が600万戸、耕地が600万ヘクタールあったわけですね。でも、その600万ヘクタールを持っていたのは200万戸の地主で、残りの400万戸は小作人だったわけです。で、その400万戸の小作人に農地を解放するというのが「農地改革」だったわけですよ。日本を占領していたアメリカは、日本の農民を命令に何でも従う屈強の兵隊に育て上げてきたのは日本の農村の貧しさだと考えた。その日本の農村の貧しさと封建制を打破しないと、日本はまた軍国主義に戻るということで農地解放をしたわけです。そこで、せっかく土地を持った農民を貧しさと因習と重労働から解放したい、その手助けをしたいというのが「農事番組」の一つの狙いだったと思いますね。もう1つは、戦後、復員軍人とか海外からの引き揚げ者が700万人もいたっていうんですが、それがみんな農村に帰っていって食糧増産をやろうということですね。だから、農地改革を母体として「農村の民主化」と「農業の近代化」、「食糧増産」とを目指し、ちょうど始まったテレビもそれに貢献したいということだったんだと思いますね。
大橋 僕たちが所属していた農林水産産業部って、RFD(ラジオ・ファーム・ディレクター)や農事放送通信員という情報ネットワークがしっかりしていたと思うのですよね。あれも昔からあったんですか?

農事番組に独自の制作体制を

 あれは進駐軍が持ってきたわけ。RFDっていうのはアメリカにあった農事番組の通信員組織なんですよ。それをNHKにも置いたわけですね。それから「アーリーバード」という番組があった。それを翻訳して「早起き鳥」ってラジオ番組をNHKが始めたわけ(笑)。NHKは、「農事放送担当者」ということで、福岡と、広島、松山、大阪と名古屋と、仙台と札幌に3人ぐらいずつ農事番組の専任ディレクターを置いたんです。それから全国50の放送局に1人ずつ置いて、東京農事部に30人、そのくらいの組織で作ってたわけですね。だから、占領政策の置き土産みたいなとこがあるわけ、農事番組ってのはね。
 それから、各地の農業関係者の方々に農林水産通信員をお願いして「ひるのいこい」とか「早起き鳥」のネタを提供していただいたんですね。
 例えば、新潟には、佐藤菊雄さんという米専門の農業改良普及員がいて、何かあるとこの人に話を聞いて番組を作りました。秋田には加賀谷多吉さんというもう45年間ぐらい通信員をやってくれている人がいます。この人は農業改良普及所を定年になってから、今でも自分で農業をやりながら便りを寄せてくれています。
 僕も最後は秋田に(局長として)勤務したんですけれども、着任して最初に挨拶にうかがったのは加賀谷さんでしたね。知事のところより先に、現場の農家に行ったのは“農林水産”の出身ディレクターのささやかな誇りでしたね。



「明るい農村」が始まったころ、
日本中に目いっぱい働こう
という意欲がみなぎってましたよ。

非常に厳しい労働だし、
貧しいけれど、
顔は輝いていたよ。


明るい農村を築くために

大橋 私は茨城という農業県で育ちましたから、周りが田んぼや畑で、農業というのはあたりまえだった。で、なんとなく農業って面白そうだなと思って「農業番組をやりたい」って言ったんですね。そして、北見という農業の本場に行かしてもらって、やっているうちにどんどん面白くなってきた。農業番組って知識がたまるとどんどん深いことが見えてきて面白くなるんですよ。でも、農村が「明るい」という実感は無かったですね。
 「明るい農村」というタイトルの話は昔からよく出たんですよ。この番組は22年続いたんですが、前身の「のびゆく農村(S32〜35)」「村の記録(S35〜38、以降は「明るい農村」に統合)」を入れればまぁ30年近く続いてます。でも「明るい」というのはほんの最初の10年あるかないかなんですよね。そのあとは「暗い」部分を描かざるを得なかったですね。
 うん、「明るい農村」になった昭和38年というのは高度経済成長の真っ只中だからね。「明るい農村」が始まる直前までは日本の食糧自給率って80%ぐらいだった。就業人口の3分の1ぐらいは農民だったわけでしょう。それが毎年毎年、自給率が下がって、1960年代の80%が1990年代には40%。農業人口もどんどん減って10%切るようになった。だから、「明るい農村」というのは、明るい農村を築くために作った番組ではあるけれども、決して「明るい農村」を取材したわけじゃないんですよね。



カメラは記録し続けた 時代に翻弄される農村


農事番組の系譜 1957〜1985


産業構造の変化の中で

大橋 僕は昭和54年に東京に配属されたんですが、その頃はもう「生産調整、減反政策」というのはあたりまえになっていました。昭和60年近くになると、今度は「自由化圧力」が出てくるということで「農村に明るい話題はない」という感じでしたね。
 決定的なのはね、「過疎」っていう言葉ですね。昭和42年ぐらいかな、「明るい農村」が毎朝6時半からやって視聴率20%、独壇場でやってた頃、「過疎」っていうのが提案会議で出てきたんです。それで、「過疎って何だ」って誰も分からなかった。提案した人は「“過密”に対して“過疎”です」って黒板に書いてね、「どんどん農村から都会に人が出ちゃって、お祭も、お寺の維持もできなくなっている」って言うんですよ。定かじゃないけど、20年間に1000万人単位で人口が農村から都市へ移動したというんですね。
大橋 自分の体験からも、僕にとって農業はものすごい重要なものだったわけですよ。だから、ここ20年で農業ってこんなに凋落しちゃったんだという衝撃がありました。
 今から思うと、農事部があったとか、農林水産産業部があったとか、「明るい農村」という「農の事業」をNHKが総合テレビでやってたなんていうのは、今の若い人は、驚くかもしれないけれどね。「明るい農村」が始まったころ、日本中に目いっぱい働こうという意欲がみなぎってましたよ。非常に厳しい労働だし、貧しいけれど、顔は輝いていたよ。
 NHKという組織として農事部というのをずっと長い間維持してきて、それから「明るい農村」という番組をずーっと続けてきてということはやっぱり見識があったのかもしれないですね。それは結果論かもしれないけれどね。

…つづく

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著作権Q&A

Q:NHKと関係のない催し物やサークル活動などでNHKの番組名を冠したイベントやチーム名を付けてもいいですか?


A:番組タイトルには著作権はありませんが、番組名の使用についてはそのイベントやサークルとNHKや番組との関係を問われるおそれがありますので、できれば使用をご遠慮くださるようお願いします。

 番組タイトルは一般的にごく短い表現であり著作権はないものとされています。しかし、問い合わせのようなケースや、商品名、サービス名にNHKの番組名を使用することは、一般の方々からNHKや番組との関係について誤解されてしまう恐れがあります。また、大河ドラマや朝の連続テレビ小説、テキスト販売をしている「きょうの料理」等の一部の番組については、番組タイトルの商標登録をしています。特に放送中の番組については使用をご遠慮いただくようお願いします。

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NHKアーカイブスからのお知らせ

西田敏行さん
 お問い合わせ:NHKアーカイブス
 URL: http://www.nhk.or.jp/archives/

 NHKアーカイブスの映像資産を活用した新しい定時番組が1月から始まっています。BS2夜7時45分から8時32分までのゴールデンアワーに放送される「蔵出しエンターテインメント」です。しかも週に3回。月曜日は「ビッグショー」、火曜日は「藤沢周平ドラマ」、水曜日は「名人劇場」です。「ビッグショー」は1974年からの古い番組、「藤沢ドラマ」は固定ファンの多いソフトです。「名人劇場」は1月の「吉永小百合」2月の「西田敏行」など人気の高いエンターテイナーを月替わりでとり上げるものです。
 ドラマ番組は制作局ドラマ番組が担当、その他はエンターテインメント番組とアーカイブスが協力して担当しています。
 この他にも様々な形で映像資産の活用番組が増えています。アーカイブスでは、放送現場と協力して古いソフトに命を吹き込む活動を続けていきます 。

今月の主な放送予定[アーカイブス関連番組]

※放送日時、内容は変更する場合があります。最新の番組表はこちら

NHK特集「日本一寒い町で〜北海道・陸別町〜」 NHKアーカイブス(毎週日曜放送)
2月18日(日)総合/23:10〜0:30
NHK特集「日本一寒い町で〜北海道・陸別町〜」(49分/1985年)
NHK短編映画「佃島」 NHK短編映画「佃島」(20分/1957年)
山田耕筰(作曲家) あの人に会いたい(毎週日曜放送)
2月11日(日)教育/19:45〜19:55
山田耕筰(作曲家)
「鶴の来る駅〜北海道標茶町茅沼〜」(1973年)より 新日本紀行ふたたび(毎週土曜放送)
2月17日(土)総合/11:00〜11:39
「鶴の来る駅〜北海道標茶町茅沼〜」(1973年)より
蔵出しエンターテインメント(毎週月〜水曜放送)衛星第2/19:45〜20:32
ビッグショー(毎週月曜放送)
2月5日 吉田正 異国の丘から30年
2月12日 藤田まさと 詩は心のドラマ
2月19日 淡谷のり子 歌ありて…
2月26日 藤浦洸作品集 優しさと哀しみと
名人劇場(毎週水曜放送)2月は西田敏行さん
2月7日  この人「西田敏行ショー〜花も嵐も蹴とばして男純情ご対面〜」
2月14日 大河ドラマ「おんな太閤記 第2回 足軽女房」
2月21日 大河ドラマ「山河燃ゆ」
2月28日 西田敏行スペシャル 第1部「ふるさと発 西田敏行─役者になって25年!─」

今月のおすすめ[番組公開ライブラリー]

鳥たちの詩

「鶴になった男〜釧路湿原・タンチョウふれあい日記〜」 NHK特集
「鶴になった男〜釧路湿原・タンチョウふれあい日記〜」
(1987年10月4日放送・45分)
「野鳥観察館〜千葉県習志野市〜」 ふるさと おもしろ博物館
「野鳥観察館〜千葉県習志野市〜」
(1996年5月14日放送・10分)
「人か鳥か 〜東京湾新浜開発の論理〜」 現代の映像
「人か鳥か〜東京湾新浜開発の論理〜」
(1967年11月24日放送・29分)
「ウグイス」 四つの目
「ウグイス」
(1967年3月30日放送・26分)

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編集後記

  「明るい農村」が戦後の民主化と深く結びついていることは、もはや知られざる事実となってしまったように思います。かつて、NHKに「農事」を専門とする制作集団が存在したことすら、若いディレクターたちには驚きに映っています。いま、テレビ番組欄を見ても「農村」や「漁村」という文字を見つけることさえ難しくなりました。番組は時代を映す鏡ですが、「明るい農村」ほど時代の急速な変化に直面した番組もなかったかもしれません。
 さて、次号は「明るい農村」をベースに様々なチャレンジをしながら、そこから見えてきたものを語り合います。(N)

発行:2007年2月1日 第5号
〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
NHKライツ・アーカイブスセンター
発行人:菅野 栄/編集長:根本佳則
編集:MAXプロジェクト/SOCIALSOFT.INC

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