テレビが始まる1953(昭和28)年まではラジオの時代だった。当時は、ラジオ放送といえば生放送が中心であり、録音機や録音テープなど便利な記録手段もなかった。したがって、“ラジオの時代”の放送が今に残っているとすればそれは極めて貴重な記録であり、当時の限られた記録方法を知るうえでも興味深いものである。ここでは戦前から戦後にかけて、ラジオ番組は、どのように保存されたかを記す。
残らなかった初期のラジオ放送
日本のラジオ放送は、1925(大正14)年3月22日に始まった。このころは、「文藝春秋」や「キング」などの雑誌創刊が続き、無声映画は全盛、レコード生産も順調であった。そこに登場したラジオは速報性と同時に大量伝達できる新たなメディアとして期待が大きかった。ラジオ放送開始は、最初の4か月は芝浦の東京高等工芸学校に間借りした仮放送所からの放送で、愛宕山の東京放送局から本放送が始まったのは7月12日のことである。
初期のラジオ放送といえば生放送であった。音楽、演芸、講演、ニュース、そしてドラマまですべてが生で放送されていたのである。録音されることもなく、当然ながら初期の放送は残っていない。しかし、スタジオから放送するだけではなく、録音された音を使って放送の幅を広げたいという制作現場の欲求は強かった。
フィルムに録音
録音放送の始まりは、1932(昭和7)年11月22日であった。内容は、国際連盟のジュネーブ特別総会における佐藤尚武全権の講演である。満州事変に対する日本非難が起きたなかでのジュネーブ特別総会は、日本にとって大きな意味があった。佐藤尚武全権の講演は11月21日に行われたが、これを写真化学研究所に依頼してフィルム録音をし、一日遅れで放送するという実験が行われ、成功した。
映画に音がついたトーキーが始まったのは1920年代後半で、1930(昭和5)年ころには各国でトーキー映画が作られるようになった。その手法を生かしてフィルムに録音してそれを放送に活用することが考えられた。1939(昭和14)年には16ミリのフィルムに光学的に録音するフィルム式録音機がNHKで採用されている。音も良く、長時間録音も可能で保存も良いという利点はあったが、現像に時間がかかることもあり、何より戦時下でフィルム入手が困難となって、1941(昭和16)年12月、宣戦の大詔の録音を最後に使われなくなった。この「宣戦の大詔の奉読」はDAT(デジタル・オーディオ・テープ)にコピーされ現在もアーカイブスに保存されている。
磁気録音機の登場
本格的な録音機導入は、1936(昭和11)年イギリスから購入した、鋼帯式の磁気録音機である。これは1920年代の終わりごろに、イギリスで製作され、記録媒体として鋼帯を使用するもので、鋼帯の幅3ミリ、厚さ0.08ミリ、走行速度1.5m/秒、録音時間30分の性能を有していたが、高さ1メートル幅2メートルと大型で取り扱いや編集は不便だった。音声はあまり良くなかったが連続30分録音できる利点があり、昼の放送を録音して夜間の海外放送に使用するために使われた。ただ、一台しかないため酷使されすぎ、1942年以降使われなくなった。
録音の主役はSPレコード
録音媒体として一時代を築いたのは、SPレコードである。現代の感覚で、「レコードはレコード会社が大量にプレスして販売するもの」と考えるとちょっと違う。「レコード(RECORD=記録)」の言葉通りに、まさに「音を記録する手段」なのであった。ただし、1分間78回転で録音するためレコード1枚に録音できる時間は3分程度しかなかった。
1935(昭和10)年5月ころから、NHK大阪中央放送局(当時)で『ニュース演芸』放送のために録音レコードを使うようになったが、使おうとするたびにレコード会社に依頼して収録するという方法に頼らざるを得なかった。
そうした中で自前の録音機を持つ必要性が意識され、1936年には、NHKがドイツからテレフンケン円盤(レコード)録音機を購入した。これは、移動可能であり、最初に使われたのは1936年10月の神戸港沖での観艦式での録音であった。翌1937年からは本格的に使われだし、大相撲の中継で、放送時間からはみ出した取り組みを録音し、後のニュースの時間に放送するなどの使われ方をした。この1937年あたりは双葉山が69連勝するなど、相撲放送が熱狂的な人気を博した時代である。今まで聞けなかった勝負を聞けるとレコードの録音は好評だった。
レコードの使用枚数は激増した。東京のNHKに限っても、1937(昭和12)年には1か月80枚程度だったのが、1938年末には150枚、1941年には1000枚を超えるようになった。
こうして録音された重要な録音の一つに「紀元2600年祝典音楽」がある。1940(昭和15)年は、皇紀で言うと、紀元二千六百年という記念の年に当たっていた。これを記念して日本中で盛大な祝賀式典が行われた。リヒャルト・シュトラウスなど外国の代表的作曲家に曲を依頼し、日本の6つの楽団を合わせて結成した「奉祝交響楽団」が2か月も練習を重ねるという騒ぎだった。これらの曲は12月18、19日に内幸町にあったNHKの第1スタジオで演奏され、全国放送された。この録音は失敗することはできない。演奏は、スタジオから直接ケーブルを引いて道を隔てたレコード会社のコロムビアに送られレコードに録音された。海外放送をするためであった。また、翌1941年に「奉祝会」から13枚組でレコードが売り出された。
このように貴重な放送が録音されたのだが、残念なことに、NHKでは録音盤が貴重品だったため使い終わったレコードは回収され、再び音を刻むために表面の樹脂を塗り替えて再使用されてしまった。経費は安くなるが、そのたびに録音した音は消えてしまったのである。
個人や会社が独自に残した貴重録音
当然ながら、レコード録音機を持っていれば、そして技術さえあれば個人でレコード録音機を自作したり、レコードを製作することはできた。そのような個人が録音したレコードも残っている。
1936(昭和11)年8月にベルリンで開かれた第11回オリンピック大会では日本選手が水泳4種目と三段跳びで優勝するなど大活躍し、日本中が熱狂した。中でも、「前畑ガンバレ!」の連呼で有名な河西三省アナウンサーの女子200メートル平泳ぎの実況放送には日本中が沸き上がった。この前畑秀子さんが優勝した競泳の実況放送が3分の録音としてNHKに保存されている。これはポリドールの湯地富雄さんが、受信機まで自前で製作して川崎市のスタジオでレコーディングテストを兼ねて収録したものであった。
1936年2月26日、いわゆる「2.26事件」が起きた。27日には首都に戒厳令がしかれ、事件が続く29日の午前8時40分に歴史的な放送が行われた。反乱した兵にすぐに反乱をやめて、戻ってくるよう促す放送である。これは、NHKの中村茂アナウンサーが読んだもので、「兵に告ぐ」と呼ばれる放送である。「戒厳司令部発表。兵に告ぐ。勅命が発せられたのである。…今からでも決して遅くはないから直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰するようにせよ…」この放送の成果は目覚ましかった。放送直後の午前9時前後から反乱軍を離れる者があらわれ、午後2時過ぎには反乱軍は帰順した。この歴史的録音も現在NHKにあるが、もともとは個人が録音したものを戦後になって提供してもらったものである。
保存されている重要録音
では、NHKにはどのような貴重な放送がレコードに録音されて残っているのだろうか。現在、アーカイブスでは静岡県の浜松支局にSPレコードを1万6000枚保管している。そして、一覧できるよう冊子に整理している。多くは市販されている音楽などであるが、一部に「講演、演説、挨拶、等」と分類されるレコードがある。戦時中の大本営発表や首相の就任あいさつなどで、歴史的にも貴重な音盤である。
1万6000枚のレコードは、いつでも使えるように浜松支局に大切に保管されているのである。
SPレコード盤(1988年撮影)
NHK浜松支局では、およそ1万6000枚のSP盤を保管している。
浜松支局のSPレコード保管庫
放送現場などからオーダーがあれば、渋谷のNHK放送センターへ現物を送る体制が整えられている。



