特集 アーカイブスの役割と歴史 アーカイブスの歴史年表

1.保存─貴重な映像資産を次世代に伝える

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特集 アーカイブスの役割と歴史
1.保存─貴重な映像資産を次世代に伝える

「NHKアーカイブス」の1つめの役割は「保存」である。しかし、ニュースや番組映像の保存は長い間、体系的に行われておらず、保存場所も分散していた。体系的な保存と場所の一元化が行われたのは、1981(昭和56)年になってからで、まだ25年余りである。NHKではどのようにして放送番組を保存してきたのか。保存がままならない時代から、現在のアーカイブスへと至る歴史について振り返る。

ニュースや番組のフィルムを保存した「資料部」

1957(昭和32)年、NHKに「放送資料部」(1959年「資料部」に改称)が放送現場の支援を目的とする組織として設置された。資料部の保存の対象は、1959年に資料部内に設けられた「フィルム資料課」という名称が象徴するように、フィルム映像が中心であった。特に再利用の可能性が高いニュース映像が優先された。1953年2月1日のテレビが始まった日に放送した『NHKテレビジョンニュース』が保存されているのをはじめ、1年間の重要ニュースを年末にまとめた『ニュースハイライト』は、テレビ放送開始以来、すべて保存されている。

番組映像については、フィルムで制作されていた『新日本紀行』(1963年〜82年)『現代の映像』(1964年〜71年)『ある人生』(1964年〜71年)などの紀行番組やドキュメンタリーが保存された。これらのフィルム制作番組は保存されている割合が高い。例えばNHKを代表する紀行番組『新日本紀行』は、全部で794本が放送されたが、そのうち90%以上が保存されている。

しかし、資料部では、VTRで収録し、プログラム(番組)として完成させる(これをNHKでは「完プロ」と呼ぶ)ドラマや芸能番組などは、保存の対象としていなかった。これは、テレビ草創期から使われていた2インチ幅のVTRが高額で、何度も再利用されていたためである。(詳細は「アーカイブス・コラム1」参照

無形文化財を収集・保存した「放送文化財ライブラリー」

1951(昭和26)年、放送文化研究所は、無形文化財の保護を目的に、“民俗”“伝統芸能”“人物”などの音声素材を収集・保存する「音のライブラリー」を設立した。

「音のライブラリー」では、テレビ放送が開始されたこともあって、50年代後半から、フィルムによる映像の収集・保存も始めた。これも消滅するおそれがある無形文化財の映像による記録が目的で、放送番組そのものは保存の対象にしなかった。しかも、放送ではカバーできない無形文化財の収集を目指していたため、自主制作を中心に据えた。独自の企画でロケーションを行い、映像作品を制作したのである。

特に力を入れたジャンルは、消える恐れがある郷土芸能や民俗行事である。自主制作の第1作は、1958(昭和33)年に作られた、新潟県黒姫村(現・柏崎市)の「綾子舞」である。綾子舞が、古い歌舞伎踊の面影をとどめた風流踊として貴重であることから、取り上げられた。以後、「淡路人形芝居」「壬生大念仏」「徳丸の田遊び」などの映像の制作が続いた。

映像による収集・保存が中心になってきたことから、「音のライブラリー」は、1963年に「放送文化財ライブラリー」に改称された。

一連の自主制作の中で高い評価を集めたのが、「ユーカラの世界」3部作である。1963年から2年がかりで制作されたこの作品は、急激にその姿を変えつつあるアイヌの人たちの生活を、四季を通じてカラー映像で記録しようとするものであった。「ユーカラの世界」はユネスコで紹介されて以来、アイヌの人たちの研究資料として、海外の大学・学会などで反響を呼んだ。

放送の歴史上重要な番組を保存した「放送博物館」

放送文化研究所の組織の一部である「放送博物館」では、従来、放送機器や放送台本などの収集・保存を行ってきたが、1965(昭和40)年ごろから、放送史上重要な番組を記録として残そうと、番組映像の保存を行ってきた。保存の対象は、年間を通じて放送した番組(『連続テレビ小説─特集 おはなはん』大河ドラマ『樅の木は残った 総集編』『ふるさとの歌まつり』など)や、放送の歴史を知るうえで重要な番組(『日米テレビ宇宙中継はじまる』『冬季オリンピック・札幌大会 総集編』など)である。

放送史の記録という性格上、対象とした番組の数は限られていたが、人気番組や記録性のある貴重な番組が多く、番組映像の保存に大きな役割を果たした。

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