NHK番組アーカイブス 学術利用トライアル

これまでの成果

NHK学術利用トライアルのあゆみ

説明図

これまでのトライアル研究の内容

※研究者の所属・職位は閲覧当時のものです。

第1期

テレビ番組アーカイブによるメディア環境における「水俣」の記録と記憶に関する研究

小林直毅(代表者)法政大学 社会学部 教授

水俣病事件を取り上げたドキュメンタリー番組は、それらが制作、放送された歴史的コンテクストのもとで、テレビによって描かれ、語られた水俣病事件の公共的記録にほかならない。またそれらは、人々がテレビを見ることで経験してきた水俣病の公共的記録でもある。それゆえに、「水俣」にかんするドキュメンタリー番組のアーカイブ研究は、メディア環境における人々の「水俣」の経験と記録と、さらにはその記憶を検証する試みとなる。
本研究では、水俣病事件をめぐるテレビドキュメンタリーを、この事件の一群の公共的な記録として分析し、メディア環境における「水俣」の記憶が形成されていく歴史的課程を解明する。同時に、諸資料やインタビュー調査の記録、研究者による知見、新聞、雑誌などの報道、番組間での相互参照、引用などの関係を、番組を構成する映像素材に付与すべきメタデータとして考察し、テレビドキュメンタリーの記録としての可能性を明らかにする。

NHKテレビ報道における韓国の民主化運動 ―1972年~1987年を中心に―

李美淑東京大学大学院 学際情報学府 社会情報学

本研究は、博士論文のテーマとして考えている「韓国民主化運動におけるトランスナショナルな市民連帯-越境する情報、メディア、市民運動」(仮)の一部分として、1)歴史的な情報を得るため 2)他国(韓国)での民主化闘争に関する報道のあり方、国内(日本)の内部の連帯運動に関する報道のあり方を検証するため行う。
韓国民主化運動がもっとも激しかった70年代、80年代に日本では、1)国際報道において、韓国民主化運動がどのように報じられたか、2)日本の内部で起こった在日の人々の運動や市民・労働団体の連帯(集会やデモ行進)がどのように報じられたのか、を分析する。それによって、外国(韓国)で起こっている民主化闘争における国際報道のあり方及び国内での連帯支援運動に関する報道のあり方を検証し、トランスナショナルな社会(市民)運動におけるジャーナリズムまでをも考察していきたいと思っている。

寺山修司の放送ジャンルにおける活動に関する実証研究

堀江秀史東京大学大学院 総合文化研究科 超域文化科学専攻

寺山修司(1935-1983)に関する研究のうち、現在もっとも進んでいる分野は、短歌などの文学、天井桟敷の演劇、映画などが挙げられる。申請者は現在、特に比較芸術(クロスジャンル研究)の視点から、寺山の1960年代を中心とする多様なジャンルの越境活動をテーマとし、これまでに写真、映画との関連を論じてきた。だが、寺山研究全般においても、放送分野、とりわけテレビにおける寺山の活動の研究は、全くといってよいほど進んでいない。1950年代後半から60年代にかけて寺山は、NHKや民法の依頼を受け、ラジオ、テレビのドラマ脚本を書き、70年代以降には、ワイドショーのコメンテーターとしてテレビに露出していた。さらに、寺山の没後に組まれた寺山特集の番組は、没後25年を経た現在まで、NHKでの放送だけですでに30本を超す。本研究では、寺山の従来研究に放送分野の活動を加えてその両者に実証的に橋渡しをすることを第一の目的としたい。

日本・韓国テレビ制作者の比較研究

金廷恩上智大学大学院 文学研究科 新聞学専攻

新しいメディア環境のもと従来独占的な立場だった地上波テレビの存在感が薄くなると言われるが、いまだテレビは迅速性や臨場感、情報波及規模、表現の多様性を持ってマスメディアの代表と言える。数多いメディアから情報が氾濫する時代だからこそその質が問われるしテレビだけ出来ることがある。特に商品としてコンテンツ化したドラマやバラエティーより、テレビにジャーナリズム機関たる存在価値を付与する番組が期待されるなか、その作り手の制作者の役割が大事である。この状況は日・韓共に変わらない。変貌する環境の中、両国のテレビ制作者の認識と仕事を比較することが本研究の狙いである。放送開始から日本の多大な影響を受けてきた韓国のテレビだが現在は独自のテレビ文化を形成している。日韓の制作者を比較することによって両国のテレビ制作者の位置、彼らが築いていくテレビジャーナリズムや文化の違いを分析したい。

監視社会における移民の管理と主体性をめぐるポリティクス
〜NHKアーカイブスにみる「在日外国人」へのナショナルなまなざしについての一考察〜

稲津秀樹関西学院大学大学院 社会学研究科 社会学専攻

本研究のねらいは、戦後日本の内なる他者としての「在日外国人」が、NHKという公共放送の中で、どのようにまなざされてきたのかを検証することにある。空間管理社会化(阿部・成実編2006)が進むメディア空間において、それは表象の管理を扱った論考が存在するが(山本2006、梁2003)、NHKのコンテンツを通時的かつ網羅的に扱った論考は今のところない。加えて、先行研究では在日コリアンの映像資料が検証されているが、ニューカマーのものは少なく研究に偏りがある。更に、テロ後の社会で、主流国民と他者との間の境界を強化するナショナリズムが、マスメディアにおいて問題視されないとの指摘を踏まえれば(Rajagopal 2006)、他者としての「在日外国人」像が、どう表象されてきたのかを分析することの重要性は、ますます高まっていると言える。
今回の「トライアル」期間においては、申請者のこれまでの研究を踏まえる形で、戦後のNHK放送における「日系人」移民の表象の変遷を歴史的に素描することに目標を限定したい。

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第2期

生殖技術に対する生命倫理観の模索と構築 ―代理出産の報道を中心に

柳原良江東京大学大学院 人文社会系研究科 グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」 特任研究員

人々の身体観や生命観は堅牢ではなく、その場の文脈に左右される。それを示す典型例に代理出産を巡る世論(せろん)の変容がある。厚生労働省の調査によれば、代理出産に対する人々の意識は、2003年と2008年の間に極端な変化を経験している。この世論形成に関するメディアの機能を探るべく、申請者は過去に雑誌記事の調査を実施した。その結果、言説を変容させる動力として、雑誌記事と同期した民放の特番など、娯楽的要素の強いメディアの介在が見いだされた。
それならば客観性を重視するはずのNHKの報道は、これらの言説から独立していたのだろうか。恐らく客観性を担保する試みを続けながらも、周囲の雰囲気が作用することで、微妙な構成・演出の違い、紡ぎ出す言葉に対する変化が生じ、世論(せろん)構築に何らかの役割を果たしていたのではないか?本研究はこの仮説に基づきながら、生殖技術が報道される際の客観性の在処について考察したい。

テレビ番組アーカイブによる「水俣」のアクチュアリティと歴史性に関する研究

小林直毅(代表者)法政大学 社会学部 教授

テレビ番組で描かれ、語られる水俣病事件は、同じ映像素材が用いられていても、ニュース番組とドキュメンタリー番組とでは、その様相が大きく異なることが多い。水俣病事件を取り上げたテレビ番組には、テレビに固有の方法で形成されてきた「水俣」のアクチュアリティと歴史性が見出される。そこでは、メディア環境における「水俣」の記憶が再生産され、あるいは変容させられてもいる。
本研究は、1995年の水俣病事件の政治決着以降のニュース番組やドキュメンタリー番組において、「環境問題、公害事件の原点」といわれる水俣病事件の、どのようなアクチュアリティと歴史性が描き出され、語られてきたのかを解明することを目的とする。そして、今日支配的な「環境問題」をめぐる言説にはけっして回収されない、メディア環境における「水俣」の歴史的固有性の獲得を試みる、実践的研究としてのメディア/アーカイブ研究の可能性を模索する。

放送における「空襲」認識の形成と変容に関する歴史学的研究

大岡聡(代表者)日本大学 法学部 准教授

近年、現代史の分野では「戦争の記憶」(戦争観)の研究が活発になっている。そこではジャーナリズムや論壇、社会運動等の言説だけでなく、大衆文化、博物館展示、慰霊施設など多様な素材が検討対象となってきたものの、「国民的」な記憶の形成にあってとりわけ大きな力を持ったはずのテレビ放送については、アーカイブスの未整備もあって検討されてこなかった。
そこで今回NHKアーカイブスの研究利用が可能になったのにあたって、主にアジア・太平洋戦争における空襲・戦災、あるいは戦災復興や被災者の戦後を取り上げた放送番組と関連史料の歴史学的分析を行い、放送における「空襲」認識の形成・変容を跡付け、その特質を明らかにしたい。
こうした研究課題は、日本社会の「空襲の記憶」がいかなる歴史的条件に規定されて形成・変容を遂げてきたのか、そこにはらまれる亀裂や抗争、忘却や隠蔽がどのような歴史的性格を持っていたのかを明らかにしようとしてきた、われわれの研究プロジェクト(科研費基盤研究B「東京大空襲体験の記録化と戦争展示」2007~10年度)の延長にある。

開発主義とテレビ ―日本・韓国・中国におけるダム映像を中心に

町村敬志(代表者)一橋大学大学院 社会学研究科 教授

本研究は、東アジアにおける開発主義の生成、変容、解体においてテレビが果たした役割を、映像内容の分析を通じて明らかにすることを課題とする。応募者は、日本における開発主義体制の成立が、とりわけ主体形成の面で、映像の製作・流通・受容過程とも深く関連していたことを、ダム映画を事例に解明してきた。
本研究では、テレビを対象に、ダムに関わる映像表現が、高度成長期から脱成長期、新自由主義期にかけ、その後いかに変化したかを検討する。映像とはそれ自体が、多様な利害と権力が衝突する政治的アリーナであった。開発に疑問を投げかける映像は早くから制作されたにもかかわらず、開発主義イデオロギーはなぜ生き延びてきたのか。テレビはダムの何を描き、何を描かなかったのか。同じく開発主義体制の下にあった韓国の番組とも比較することにより、<開発―反開発>をめぐる表象と語りの生産においてテレビが果たした役割を探る。

認知症の本人はいかに描かれてきたか?―本人視点の出現・変遷・用法に関する探索的研究―

井口高志(代表者)奈良女子大学 生活環境学部 准教授

本研究は、映像メディアにおける認知症の本人の視点の取り上げられ方を考察することを通じて、認知症・呆けに対する社会的まなざしの変遷に関する研究への貢献を目指している。2000年代中頃から多くの認知症患者本人がメディアに登場して語るようになり、認知症ケア・医療に関する紹介番組も数多く作られてきている。介護者も日常的に視聴し、大学や医療福祉専門職の教育においても頻繁に用いられているNHKの番組は、認知症の情報を普及させるキャンペーンを積極的に担い、本人重視を意図した番組を多数制作している。また、80年代からも痴呆に関する番組を多く制作し保存しており、近年のような本人の「語り」ではないが、認知症の姿を時代の文脈の中で描いた重要資料である。
本研究では、そうした蓄積された映像資料を用いて、文書や実践者の認識などに依拠して論じられている、認知症介護実践・政策における「本人視点への注目」という命題の検証と補完を試みる。

感染症報道における「作動中の科学」の情報及び文脈の分析~新型インフルエンザ報道を中心に~

渡邉友一郎(代表者)早稲田大学 大学院政治学研究科 ジャーナリズムコース(現・日本テレビ)

昨今、医療に関するメディア情報の質が問われている。中でも特に、映像メディアの市民に対する影響力は大きく、健康リスクに接した市民が行動決定する際の上位情報源となりうる。このことは、提案者らが昨年の新型インフルエンザ流行期において、初期に感染者が確認された3都市2400人に対して行った調査、並びにWeb上言説の分析を通じても確認された。
この時期の新聞報道の分析結果からは、SARSや鳥インフルエンザといった過去の報道が教訓となり、比較的正確な情報が流通したものの、社会における議題構築機能は充分に果たせなかったと言える。それでは、実際に市民により強い影響を与えた映像はどうだろうか。
本研究においては、感染症を扱った報道並びに情報番組について、その科学情報及び文脈を中心に分析・検証を行う。またこの研究を通じ、リスク要素を含む動作中の科学情報を映像メディアにおいて扱う際の規範及び評価軸を擁立することが期待される。

政治テレビ討論会と国家指導者像の変遷―日本党首討論会と米国大統領討論会

松本明日香日本国際問題研究所 研究員

インターネット・マルチメディアミックスの進む現在においても、選挙時などのテレビ利用は盛んであり、その中で大きな役割を担ってきたものとして政治討論番組がある。米国では複数のテレビ局の共同出資により、大統領選挙時に討論番組(presidential debates)が放映される。これらの一見ハーバーマスらの言う「討議民主主義」を体現するかのようなテレビ上での政治討論会は注目を集め、様々な角度から分析されてきた。
今回、日本の様々な党首間討論会の映像分析が可能になったことを受けて、その日米比較を通して日米の共通点、日本の独自性を描き出すのが本研究の目的である。特に国家指導者候補同士の討論会を通した「国家指導者像」の表象を分析する。日本の政治討論会の分析は日本市民のメディア政治リテラシの向上に貢献すると同時に、今後の政治討論会の行く先を考える貴重な材料を提供するだろう。
仮説
日本の討論会は先行する米国討論会の特徴や困難さを内包しつつも、日本独自の説得方法を持つことが予測される。

NHKバラエティ番組に見る文字テロップの変遷-テレビにおける表記実態と機能の分化-

設樂馨武庫川女子大学 文学部日本語日本文学科 助教

文字テロップ研究は、同時代の放送を資料とするものに限定されてきた。そうした研究のなかで、バラエティ番組における文字テロップには多様な機能が指摘されているが、どのような変遷をたどってきたのかについては未だ研究がなされていない。また、文字テロップの制作は1964年以前が手書き、東京オリンピックより写植化、1988年より文字発生装置による制作となり、表記するための道具が変化したことは表記内容に大きな変革をもたらしたものと考えられる。
そこで本研究では、表記道具の変化と社会の変化(パソコンやインターネット普及に伴うデジタル化された文字表記の認知度)が相まって、テレビにおける文字情報(文字テロップ及び、同様に文字情報と読めるフリップボードの表記などを含む)が大きな変遷を遂げたのではないかという仮説のもと、経年でバラエティ番組における文字情報の実態を把握し、映像に伴う表記の機能を考察したい。

ヴェトナム戦争と日本のジャーナリズム

岩間優希立命館大学 衣笠総合研究機構研究員

本研究のねらいは、日本のメディアによるヴェトナム戦争報道がいかなるものであったかを明らかにすることである。申請者はこれまで新聞や書籍を対象として同テーマの研究を行ってきたが、テレビはそれらとともに当時の日本人がヴェトナム戦争を知る上で重要な情報源であった。ヴェトナム戦争関連番組の分析を行うことで、日本のヴェトナム報道を総体的に検証することが本研究の目的である。
アメリカのヴェトナム報道について、新聞とテレビを対象に精緻な研究を行ったHallin(1989)によれば、アメリカのメディアはアメリカ政府を主な情報源として、その枠組みに沿った報道を行っていた。しかし日本の場合、その情報源においてアメリカ側を主としながらも、それらの政策に反対する論調をとっていたのである。テレビの場合はさらに、反対する論調をとっていなくても、そこに映し出される「事実」は日本人に反戦的な意見を持たせるのに十分だったと考えられる。

同時代型社会の象徴「終戦報道」の検証を通じた新しい大学教育理念「ドキュメンタリー教養」の構想とその情報インフラ整備の調査

川島高峰明治大学 情報コミュニケーション学部 准教授 情報基盤本部副本部長

本研究は、狭義には、終戦の日にテレビはどのような回顧と展望を行ってきたかを、その初期(1970年代まで)の特集番組を通じて行うものである。この研究は広義には次の視点からなる。多メディア並びに時代の激変(冷戦崩壊前後・911前後の諸変化)により同時代型社会が崩壊してしまった。私は終戦や日本人の戦争体験を主題とした研究や報道に関与してきたが、歴史認識について当初から世代間のギャップを学生を通じて感じてきた。今日、戦争や戦後をめぐる記憶の共同体は若年世代では崩壊している。この他方、副専門とする情報教育では、現実のメディア変容と同行して多メディア化への対応を試行錯誤してきた。大学講義における先駆的な携帯電話の活用、活字離れの中で試みた情報リテラシーとしての「新聞教養」の活用、そして、現在、個人的に収集した300以上の録画教材を活用して嘗ての同時代型社会(戦中・戦後と冷戦・冷戦後)についての効果的な教育手法を模索している。NHKアーカイブスの教育における可能性は歴史認識にとどまらずより広い「ドキュメンタリー教養」とも呼ぶべき教育コンテンツの可能性を持つ。以上から、本研究は、終戦報道という同時代型社会の象徴的なメディア報道の検証を通じた新たな教育手法・ドキュメンタリー教養の構想を目指すものである。また、明治大学全学の情報インフラ整備を担当する職責として、来るべき番組アーカイヴの教育活用に向けたインフラ整備のためのモデル・プラン策定のひな型となるような研究推進を心がけたい。

美術番組の発展と影響

河原啓子日本大学・武蔵野美術大学・立教大学ほか 非常勤講師

日本において美術に対する概念や展覧会システムは明治以降に導入された。美術作品は"観る"という行為を伴うため、作品の理解に画像は不可欠である。明治期から現在に至るまで、国内外の美術品を紹介する展覧会が数多く開催されたり、新聞や雑誌で報道されることによって、日本人は多様な美術作品を受容するようになっていった。そして戦後において、先駆的に美術番組制作してきたNHKの番組群は、人々の美術受容に大きな役割を果たしてきたと考えられる。加えてNHKの美術番組は、日本の戦後の美術授受の価値観を反映していると考えられる。日本人にとって、美術にいかなる意義を見いだすことができるのか、美術はどのように鑑賞されてきたのか、それは何を意味しているのか、そしてテレビジョンの果たしてきた役割を検証するには、NHKの美術番組は好適な資料と言える。本格的な専門研究はこれまで着手されていない。今後の展望も明らかにしたい。

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第3期

「被爆の記憶」の語り方のエスノメソドロジー

好井裕明日本大学 文理学部 教授

ヒロシマを啓発するドキュメンタリーにおいて映像内で提示される被爆表象が具体的にどのような言葉や表現で語られているのかを個別作品ごとに例証する。被爆者の高齢化に伴い直接的な証言を聞く機会が今後急速に失われており 「被爆の記憶」の風化が毎年のように語られるも、これまで製作され蓄積されてきた映像が被爆問題の啓発などに効果的に使用されてきたとは言い難い現実がある。本研究は被爆表象の語り方の歴史的な変遷を追いながら、「被爆の記憶」をめぐるステレオタイプ化された語り方、描き方の特徴を解読する。そのさい被爆表象の何に焦点があてられ、どのように描かれ語られるのかを微細に検討する。ただ単に決まりきった表現として批判するのではなく、映像や表現から、どのようなリアルさ、迫真性などが取り出せるかをも詳細に検討する。そのうえでこうした映像作品を今後より効果的に使用していくためにいかなる工夫が必要であるのかを考察したい。

東京オリンピック(1964)―メディア・イベントと国民神話

Merklejn Iwona(メルクレイン・イヴォナ)東京大学 社会科学研究所研究員

本研究の目的は、1964年の東京オリンピックをめぐる番組分析を通じて、この大イベントをテーマに語られてきた国民神話を追究し、メディアとスポーツとナショナル・アイデンティティのあいだの三角関係について、考察することである。現代日本の「起源神話」の一つといえる東京オリンピックをメディア・イベントとして取りあげた研究は管見の限り未だない。記録的な視聴率を得た女子バレーボールのソ連との決勝戦の中継がメディア・イベントの象徴的な事例である。「東洋の魔女」と称された女子選手たちはメディアによってナショナルヒロインに作り上げられた。彼女たちを主人公にした「成功物語」という新しい国民神話が形成され、二十一世紀の今日もなお、語り継がれている。東京オリンピックから二十一世紀初頭まで、メディアによる国民神話の形成過程、およびその内容を追究したい。

三陸の津波被災地の風景の消失を考える―「景観史」として還元される地域の肖像―

水島久光東海大学 文学部 教授

3月11日の津波は東北地方太平洋沿岸に壊滅的な打撃を与えた。その復興への道筋について、現在多くの議論が交わされているが、本研究はその過程に映像記録を活かすための、実践的方法を模索するものである。応募者は2007年以降財政破綻に陥った北海道夕張市に入り、風景の消失が地域の記憶に及ぼす影響と、映像体験がそれを補綴する可能性を探求してきた。その成果を踏まえて、今回はより切実な状況への適用を検討する。復興政策がお仕着せに陥ってしまう危惧を払拭するには、その土地を生活圏とする人々の目線に立った討議がなされることが必須である。このコミュニケーション学的課題に資するアジェンダ素材を、震災以前の平時の地域映像から抽出することが、本研究の第一の目標となる。応募者は「地域の肖像権」という概念を提起し、アーカイブ映像の地域還元を構想してきた。郷愁に止まらない、過去の景観受容の意味論的可能性を拓いていきたい。

テレビが「保護と観光のまなざし」形成に果たした役割分析と地域民俗資料としてのアーカイブスの可能性

関礼子(代表者)立教大学 社会学部 教授

本研究は、尾瀬の福島県側の入口に位置する檜枝岐村を事例に、観光と「伝統」の位相について明らかにする。檜枝岐村は、国有林に依存した山村から観光立村へと舵を切るなかで、農村歌舞伎の「伝統」や自然と共生した「伝統的な」生業のあり方を保持してきた。自然保護や伝統文化の保護は、日本においても近代が生み出した「観光のまなざし」と歩をーにしてきたのだが、そこにテレビというメディアが介在することの意味は何であったか。テレビ番組や報道で語られてきた文脈を通して、地域にとっての「保護と観光のまなざし」の意味を明らかにする。
また、檜枝岐村は「秘境」「尾瀬の玄関口」と呼ばれ多くの映像にその姿が残されてきたが、村自体に残されている映像資料はさほど多くない。そこで、本研究は、村のアイデンティティの源泉でもある民俗史(誌)を紐解くための「社会的共通資本」としてアーカイブスを位置付け、新たな地域公共財としての可能性を提示する。

テレビにおける戦後「農村」表象とその構築プロセス:「農事番組」を手がかりとして

舩戸修一(代表者)静岡文化芸術大学 文化政策学部文化政策学科 講師

本研究は、1980年代までNHKで放送されていた農事番組(『のぴゆく農村』『村の記録』『明るい農村』など)が戦後日本の農村社会の変化や暮らしの変容をどのように表象してきたのかを分析する。同時に、当時の番組制作者、及び番組に情報を提供した「農林漁業通信員(以下、通信員)」へのインタビューを通じて、そうした表象が生み出されるプロセスにも視野を向ける。制作者が農村にどのような焦点を当てようとし、逆に農村はテレビという外部からの視線による対象化を意識しつつ、自らの暮らしをどのように提示しようとしたのか。両者のイメージはどう接合し、あるいは矛盾し、また妥協を経て番組として結実したのか。さらに制作された番組を通じて農村は自らの暮らしをどのように再帰的に捉え直したのか。こうしたテレビを通じた「農村」イメージと、その構築プロセスをめぐる重層的なポリティクスを明らかにするのが本研究の目的である。

テレビが描いた母と子どもの関係
―NHK教育テレビ「おかあさんの勉強室」における母親と〈子ども〉―

津田好子東京女子大学大学院 人間科学研究科 生涯人間科学専攻

日本では明治期後半に、性別役割によって、母親が〈子ども〉を教育するようになり、高度経済成長期には母親の役割は、「育児=教育をする母親」(渡辺1999)が主流になっていく。本研究の目的は、1970年代後半から1980年代において、教育テレビが、どのような「教育する母」と〈子ども〉の関係をつくりだしてきたのか、とりわけ母と乳幼児期の〈子ども〉との関係を明らかにすることである。テレビが人びとが期待する教養や娯楽に果たしてきた役割や、テレビが〈子ども〉に及ぼす影響に関しての研究成果の蓄積は多い。本研究では、これまで取り上げられてこなかったテレビが描く母と〈子ども〉の関係に焦点をあて、文化装置としてのテレビが描いた「教育する母」と〈子ども〉の関係の様相を質的に分析する。そして教育対象としての〈子ども〉という子ども観が強くなった時代の母親にとっての〈子ども〉という存在の意味を問い返す。

建築資料的価値を持った映像資料の発見と活用方法の研究
―NHK教育「テレビの旅」を一事例として―

本橋仁(代表者)早稲田大学 創造理工学研究科 建築学専攻

本研究の目的は、「建築」を映し出すことを本来の目的としていない映像から、都市史・建築史にとって有用な情報を抽出することにある。そして、それらを広く研究に資するものにするための、アーカイブ方法の構築を目指す。上記の方法論を構築するために、NHK教育で1959年から1985年まで放映された社会科教育用番組「テレビの旅」を対象とする。本映像は、本来、小学校5年の児童に日本全国の産業や当時整備されつつあった交通網(新幹線や高速道路など)を紹介する映像番組である。教育を目的としたこの映像も、この特性ゆえに、1970年代当時の国土の様子を、周期性をもって観ることの出来る、建築資料として捉え直すことができる。本映像資料に対し、位置や撮影年といった情報や、そこに映る要素を建築的視座から情報付与していく等が考えられる。それにより、研究に資するデータベースの構築を目指し、建築映像資料の定義の拡張と、普遍的なアーカイブ方法の発展に寄与したいと考えている。

第1期

テレビドキュメンタリーにおけるアイヌ表象と他者性の問題にかかわる考察
〜戦後60年間の軌跡と変容〜

崔銀姫佛教大学 社会学部現代社会学科 准教授

1950年代から現代に至るまで放送されたテレビドキュメンタリーにおけるアイヌ表象の分析を通して、戦後約60年間の日本社会(北海道)における「他者性」の歴史的な変容を明らかにしたい。アイヌと和人との認識的距離において結果的に大きな転換をもたらした政治的な出来事から考えると、戦後のテレビ(和人)によってイメージされたアイヌの表象は概ね4つのプロセスに分けられる。I.「観光とアイヌ」:1959年『日本の素顔』から1960年代まで、Ⅱ.「文化運動とアイヌ」:1960年代から1970年代激しくなったアイヌ文化振興 運動、Ⅱ.「人権とアイヌ」:1980年代以降1990年代の国際人権規約と先住民族の問題、IV.「若者とアイヌ」:現代のアイヌ若者と表象、といった分類である。アーカイブを参照しつつ各々の時代のアイヌ表象と日本社会の様相について具体的な検討を試みたい。

ニュース番組における言語変化に関する研究

轟里香北陸大学 教育能力開発センター 准教授

本研究は、ニュース番組で用いられる言語の変化を精緻に明らかにし、その過程で生じる方法論上の問題点を考察することを目的とする。近年、日本においてニュース番組で使われる言語には従来見られなかったような現象が顕著になっている。これには、例えば動詞的概念が省略されるといった、日本語の本質的な特徴とされてきた点に関わるような現象も含まれている。このような現象は、ニュース番組が娯楽的に脚色されるという傾向と関連したものとして捉えることができる。ニュース番組は一般に信頼できる情報源とみなされており、言語的にも社会に大きな影響を及ぼす可能性があるが、このような研究は非常に少ない状況にある。本研究では、NHKの過去のニュース番組のデータの分析を通して、現在見られている現象がいつどのように始まり拡大していったのかを実証的に明らかにする。同時に、言語研究にとってNHKアーカイブスが持つ大きな意義を示す。

「テレビ的知」の変容の社会学的考察〜クイズ番組における正解と不正解を事例に

山崎晶四国学院大学 総合教育研究センター 准教授

司会者の問いかけに対して解答するクイズ番組は、視聴者を自然と番組に参加させる「民主的な」娯楽番組として、テレビ放送開始時から1つのジャンルを形成していた。本研究は、クイズ番組における問い方と答え方のスタイル、および誤答の推移の考察を通して、高度情報化社会における大衆的な「知」のありようを検討する。教育目的の番組ではなく、娯楽番組から「テレビ的教養」へとアプローチを試みるのは、視聴者はあらゆる番組から「知」を獲得していると考えるからである。したがって、テレビ視聴の一般化は、日本社会の「一億総白痴化」ならぬ、「一億総博知化(佐藤:2008)」をもたらしたともいえる。番組が提示する問いと答えの様式を検討することは、これまで正面から語られることが少なかったテレビの啓蒙的側面を明るみに出すことにつながるだろう。また本研究によって得られた知見から、メディアの個人化が進行するなかでの、大衆メディアとしてのテレビの歩むべき道の提示につなげていきたい。

映像メディアにみる「沖縄」をめぐる経済言説—戦後日本社会における他者表象に関する一考察—

上原健太郎大阪市立大学大学院 文学研究科

本研究の目的は、「沖縄」の経済に関する言説が、戦後の公共放送の中でどのように表象されたのかを検証することにある。「沖縄」を言説=イメージとして認織する試みがなされたのはここ最近であり(多田,20O8;長谷川2006)、さらなる研究の蓄積が期待されている。「沖縄」の経済に関する言説は、「本土」社会のそれとは「異なる」ことを前提に、学術領域のみならず、メディアや日常生活の中にもさまざまなかたちをとって存在している。高い失業率、基地経済、全国最下位の平均賃金、企業規模の零細性などはその典型だが、それらを言説として包括的に捉える論考はこれまでない。加えて、近代日本社会における内なる他者としての「沖縄人」の存在を踏まえれば(冨山,2006)、経済領域における言説内部にも他者としての「沖縄」が存在している可能性がある。その実相を明らかにすることは、経済を言説として読み説くだけでなく、戦後日本の他者表象をめぐる議論を補完する意味でも重要である。

お笑い番組にみる人々の興味を惹き付けるインタラクション・デザイン

田村篤史関西大学大学院 総合情報学研究科

テクノロジーの進歩に伴ってメディアやインフラは様々な変化を遂げている。しかし、それ自体は人間の根源的な欲求や憧憬を劇的に変えてしまうものではなく、その原点はあくまで人間の感覚や本能に根ざしている。本研究では「笑う」というベーシックな行為を主たるテーマとした映像コンテンツの中に、インタラクションデザインのヒントを見いだそうとするものである。映像分析の手法を用いて、人間が本能的に「面白い」と感じ、「没頭、感動、快感」などの興味を引きつけられるインタラクションの在り方を抽出し、その法則性や共通性について、ヒューマンコンピュータインタラクション分野で培われてきている認知心理学的方法などを援用しつつ考察する。そして、「気持ちいい」や「面白い」といった感覚の基準は個々人によって差異があるが、多くの人々が支持するコンテンツに共通する笑いの特徴に関する知見を用いて、インタラクション・デザイン分野に応用できる知識へとモデル化する。

第1期

NHKテレビ放送史における「社会保障」
~認識枠の解放・改編につなげうる内的ダイナミックス~

山本卓法政大学 法学部 政治学科 准教授

本研究では、①社会保障に関する主題を扱ったNHKテレビ放送の歴史を時代的背景とあわせて跡づけ、そこで提示されてきた認識枠を評価すると共に、②社会保障に対するマクロの視点を「福祉―経済・成長」の二分法に立つ“リアリズム”の呪縛から解放し、社会保障の積極的な存在理由を生活水準に即して見つめるミクロの視点と接続することを通して、諸制約を考慮に入れつつ社会保障の理念的、制度的な再構築を想像・思考・議論しうる方向で社会保障に対する認識を組み直していく可能性をNHKの放送史のなかに探る。こうした研究は、特定の認識枠を社会的に再生産・再構築する機能をもつテレビ放送の社会保障観を歴史的に相対化する一方で、社会保障の主題に対する新しい認識の可能性を放送史・番組制作史に内在して探ろうとする試みである。それはまた、従前型社会保障の見直しという今日的課題に、番組アーカイブ研究の分野から応えようとするものである。

1970年代の日本が見た夢 ― 実現までのプロセスに関する考察 ―

亀井修(代表者)独立行政法人国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 参事

国立科学博物館では、科学技術及び産業技術に関するさまざまな実物資料に基づく調査研究を行い、世界及び日本における技術史に関する体系的知見があり、それらを国民のために分かりやすく提供することを使命としている。特に、高度成長期以降の日本が何を求めて成長しようとし、そして何が実現できたか、また、何を未来への課題と考えたのかを「NHKアーカイブス」の活用により、これまでの「科学技術史」や「産業技術史」に加えて「個人的文脈」と「社会機能的文脈」の視点を補完した「新しい技術史」の構築を試みる。また、これによって得られる知見は単に学術論文として公表するにとどまらず、博物館における展示や学校教育における教科指導に「NHKアーカイブス」の蓄積を提供でき、社会的活用という意味での「幅広くまた継続的な学術利用」につなげる。

ドキュメンタリー言説の変遷研究 
―「テレビ・ドキュメンタリー」の父・吉田直哉の番組分析による考察に

丸山友美法政大学大学院 社会学研究科 社会学専攻

本研究のねらいは、日本のテレビ・ドキュメンタリーの父とされる吉田直哉の「無私」で「公平中立」なノンフィクション(丹羽2001)への挑戦が、「客観的」だとするドキュメンタリー言説とどのように結びついたか解明するものである。より具体的には、吉田の番組分析を通し、草創期のテレビ・ドキュメンタリーがどのように構成され、その可能性が模索されていたのかを明らかにする。これまでのドキュメンタリー研究は、メディア史のアプローチから記録した人々の文化、生活、行動などを中心に、個別の事例研究に関心がおかれてきた。本研究の意義は、これら事例研究を下支えする、ドキュメンタリーの構成と特性を論じるドキュメンタリー論の再構成を目指すことにある。アーカイブス利用の有効性は、草創期の番組の中で「かつて」語られたドキュメンタリー論を見いだし、そして、ドキュメンタリー言説が形成された歴史的過程を解明し「いま」につなげることにある。

映像がとらえた都市下層
― 1950~60年代における格差社会の実態と「一億総中流」論の批判的考察

武田尚子武蔵大学 社会学部 社会学科 教授

本研究は、1950年代後半~60年代前半にかけて制作された番組『日本の素顔』を実証的データとして用いて、50年代後半以降に形成されていった「一億総中流」論の批判的検討を行う。1956年に、『経済白書』は「もはや『戦後』ではない」と記した。その後の高度経済成長、生活水準の上昇を背景に、「総中流」という意識が広がった。しかし、統計データによれば、1950年代後半~60年代前半は、産業間・企業間の賃金格差が拡大し、高度成長から取り残された低生産・低所得の就業者層を多く生み出した時期である。「一億総中流」認識の幻想について、学術的には統計データ、文献資料を用いて批判的検討が進んでいる。本研究は、これに映像データを有機的にリンクさせて、批判的検討の実証性を高めることをめざす。

ドキュメンタリー番組において描かれた看護師の表象と専門性に関する研究

梶原倫代(代表者)帝京大学 医療技術学部 看護学科 助手

わが国では、高度先端医療、在宅医療などの医療の変化に伴い、その一員である看護師も高度で専門的な判断やケアの提供が要請され、実践活動が変化してきている。しかし、メディアが伝える看護師は、番組数も少なく、伝えられ方が実践活動の実態との齟齬があり、看護師の専門性が社会に十分伝えられていない。本研究では以下の番組における看護師の表象分析をとおし、看護の専門性について考察したい。このことによって、番組作成の新しい視角を提言できるとともに、看護師の社会的評価の変化を期待できる。

映像資料から復元する大規模水害の空間分布とその特性分析

廣内大助信州大学 教育学部 准教授

湿潤変動帯に位置する日本では、自然災害が毎年のように発生する。これら災害被害を最小限に抑えるためには、過去にどこで、どのように災害が発生したのか、その範囲や程度を詳しく調査し、その後の対策に生かす取り組みが必要である。しかしながら被害実態の解明に資する浸水痕跡などは速やかに失われるため、早急な調査が必要である。一方で災害発生時には、被災地へのアクセスは極めて困難であり、いかに災害実態を正確に復元するのかが大きな課題であった。災害報道映像には、被災中や直後の映像が繰り返し記録されており、後日災害の被災状況の復元には、極めて有益な情報源になることが期待される。本研究では、過去の水害をターゲットとし、ニュースや特集番組で報道された画像に映しこまれた、洪水時の浸水範囲,湛水深、可能であれば湛水期間などを詳細に分析することで、過去の水害被害の実態を空間的に復元し、その特性を明らかにすることを目的とする。

紀行番組における戦後「農山村」社会の表象とその変容:『新日本紀行』を手がかりとして

舩戸修一(代表者)静岡文化芸術大学 文化政策学部 講師

本研究は、NHKの代表的な紀行番組『新日本紀行』(1963~1982年)をとりあげ、戦後日本の「農山村」社会の表象とその変容を明らかにする。そもそも、同じく農山村を描いた『明るい農村』が減反や過疎に焦点化したのに対し、『新日本紀行』は紀行番組として自然や生活の営みを重点的に描写した。特に昭和40年代以降、「民謡の風土」「日本の原風景」「郷愁(ノスタルジー)」「民俗(フォークロリズム)」といったテーマ性を強め、「都市」の住民による「農山村」を眼差すイメージを深く刻印づけた。このようなメディア表象を番組の内容分析で明示するとともに、その生成・変容の制作プロセスを当時の番組制作者へのインタビューに基づき明らかにする。また農山村側がテレビに対し自らの暮らしをどう提示し、イメージをめぐって取材者側との間でいかなる接合・矛盾・妥協を経て番組が結実したか、番組を通じて農山村は自らの生活をどう再帰的に捉え直したかについても明らかにしたい。

戦後日本の前衛芸術における映像の役割 
― 1960年代以降の実験映像が表象する文化社会の位相研究

齋藤理恵早稲田大学大学院 文学研究科 人文科学専攻表象・メディア論コース

本研究では、1960年代以降の日本の映像芸術に焦点をあてている。特に、ビデオカメラの普及により、自らを表現し、また社会と対峙するために、人々が従来の芸術の領域を超えてメディアを活用してきた事例に着目する。こうした映像メディアの発展により、表現形態や価値観が大きく転換したことを体現した具体例として、本研究では未だに学術的に明らかにされていない日本の戦後前衛芸術やビデオ・アートに焦点をあてる。今回のアーカイブス利用は、新たな芸術作品に着目した番組特集のみにとどまらず、当時の社会情勢と文化との関わりの分析も射程に入れている。特に、1970年の大阪万博でのニュース映像等を通じて、当時の鑑賞者がどのように前衛芸術作品を受容していたかに着目する。また、研究では今日のメディア・アートなど、日本における独自の芸術文化の普及と発展の位相をこれらの映像から捉え、歴史的な文脈及び接点を明らかにすることを目的としている。

草創期テレビジョンの思想的想像力を探る ― 実験放送番組の台本に基づく研究

松井茂東京術大学 芸術情報センター 助教

本研究申請者は、近年、戦後日本美術のイメージ論を基点に、草創期のテレビジョン=マス・コミュニケーションの思想的想像力の展開を研究している。2012年に発表した、「複製技術の展開とメディア芸術の成立 1950年代の日本におけるテレビ、社会心理学、現代芸術の相互透」(『東京術大学大学院映像研究科紀要』Vol.2)では、清水幾太郎、南博、加藤秀俊等、社会心理学者の言説をイメージ論として捉え、現代芸術への影響を考察した。
こうしたコンテクストで、現代美術とテレビの接点に関して今野勉氏を中心に、オーラルヒストリーも行っている。その一環で、建築家磯崎新氏にインタビュ―を行った。磯崎氏は、1962年に「都市破壊業者KK」という映像論でもある都市論を書いていることからのインタビューであったが、1952年、藤島亥治郎(建築史家)が出演したNHKテレビジョン実験放送番組のために、模型作りに関わったことを聞き、同時に、実験放送期のテレビジョンの思想的な価値を伺う機会があった。
本研究申請者は、実験放送番組の台本の研究を通じて、テレビジョンをめぐる言説の研究に加えて、番組制作の現場での想像力を可能な限り再構成することを、その研究目的としている。また、テレビのアーカイブにおける、番組そのものではなく、テレビ研究における非映像資料の重要性に焦点を充てることも本研究の目的であり、NHKアーカイブスの今後の方向性に一石を投じることを考えている。

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第2期

協調学習のマネジメント能力を向上させる教材としてのテレビドラマの可能性

大島律子静岡大学 情報学部 教授

本研究の目的は、科学研究費補助金にて実施中の、協調活動のマネジメント能力を向上させるための大学教育プログラム開発において、教材としてのテレビドラマ利用の可能性を検討することである。
協調活動のマネジメント能力は,近年21世紀型能力として重視されているが、ただ協調の経験を重ねるだけでは向上し難い。経験に加え、活動中のグループを有機的なシステムとして俯瞰的に捉え、診断し、問題を解決するためのシステム的評価観点の獲得が不可欠となる。
そこで、この評価観点に関する理論を学ぶ科目を開発することとした。この科目は理論を用いて他者の複雑な問題解決活動を分析する課題を中心に構成するが、今回、その題材としてテレビドラマの可能性を検討する。教育現場での利用を前提とし、かつ学習目的にあった適切な題材としてテレビドラマが適切であるかどうかを検討するためには、数多くのドラマの諸特性を比較・検討する必要がある。この実現のためにはNHKアーカイブスが最適であり、利用を希望する。

生活文化としてのガーデニング〜その形成・発展にテレビが果たした役割〜

小池 安比古東京農業大学 農学部農学科 教授

本研究では、ガーデニングが日本の生活文化のひとつとして形成・発展するまでに、テレビ番組がどのような役割を担ってきたかを明らかにする。わが国では、1990年代以降に「ガーデニング」がブームとなった。
2000年代に入って、ブームとしてのガーデニングは終息し、現在ではわれわれの日々の生活活動の一部となっている事例は多く、生活文化としての側面も持ち合わせていると考えられる。本研究では、ガーデニングブームが去り、いわばガーデニングの安定期にさしかかる1990年代後半からの放送番組の内容から、わが国におけるガーデニングの特性を分析し、その変容と今後の生活のなかに求められるガーデニングの理想像について考察する。同時に、ガーデニングという、その時代のニーズを反映して製作・放送された番組が社会的に果たした役割を検証したい。

「報道番組における訳出行為に関する研究」

稲生 衣代青山学院大学 文学部 准教授

昨今、BBCやCNNといった24時間ニュース専門チャンネルや、NHK BSなどで、世界のどこかで起きたニュースを瞬時に見られるようになった。
しかし、日本語母語話者の多くは、訳出された形式でニュースに触れるのが一般である。日本で最初に通訳が注目されたのはアポロの月面着陸の中継とされている。その後も歴史の節目で、通訳者が報道の「黒子」の役割を果たしてきた。例えば、湾岸戦争、イラク戦争、同時多発テロ事件など重大ニュースが発生する度に、同時通訳などの訳出行為がテレビ報道の重要な核を形成してきたといっても過言ではない。通訳は翻訳と異なり、一瞬にして消え去ってしまう「はかない」ものであり、ほとんどが保存されていない。本研究で過去に放送された報道番組を保存しているNHKアーカイブスの映像を分析することにより、日本の放送ジャーナリズムにおける訳出行為の変遷に関する考察が可能になる。

放送番組のサウンドアーカイブとしての可能性〜震災前後の音風景の変化を手掛かりとして〜

小林 田鶴子(代表者)共栄大学 教育学部 教授

本来テレビ番組は映像の撮影が主眼であって、音風景(サウンドスケープ)の記録を直接の目的としていない。しかし映像番組の中には効果音や音楽だけでなく、地域の生の音風景が記録されているものが少なからずある。一般に、写真や絵画、動画など視覚的な風景の記録に比べて、音風景が記録される機会は極めて少ない中で、テレビ番組は撮影当時の音風景を伝える貴重な記録である可能性が高い。本研究全体としては、テレビ番組を中心に(ラジオ番組も補助的に使用し)、放送番組のアーカイブを音風景が記録されたサウンドアーカイブとして捉え直し、その可能性を検証して行くことを目指すが、今回はその第一歩として、一瞬のうちに環境に劇的な変化がもたらされた東日本大震災・阪神大震災を例に、震災によって音風景がどのように変化したのかを放送番組の記録から見出していく。

映像資料を利用した水族館展示と鯨類飼育の歴史研究

宇仁 義和(代表者)東京農業大学 学術情報課程(オホーツクキャンパス)嘱託准教授

日本の水族館は、飼育動物の多様性、飼育や水管理の技術、展示方法などにすぐれ、国民的なリクリエーシヨンの場として定着している。そして独自に技術改良を進める人材を有し、就職をめざす専門学校を従える業界を確立した。また、水族館は鯨類研究と捕鯨・イルカ漁業の接点であり、公共に向けた窓口でもある。一方、水族館の歴史資料は少なく、ほとんど官公立の施設に限られているため、民間や地方の水族館の歴史研究はほとんど手つかずである。そこでNHKアーカイブスの映像を科学史や技術史の歴史資料として用い、日本の水族館展示と鯨類飼育の歴史を実証的に明らかにしたい。この課題は、「もうひとつの近代鯨類学「第一鯨学」の形成と展開」(基盤研究C:2011-2013)の一部「マリンランド導入の歴史」として取り組んでおり、1960年代以前に関する聞き取りが困難なこと、映像や音声は文字記録と相補的な資料であることから応募する。

ルワンダの20年に学ぶ ― 日本のアフリカ観はどう変わったのか

甲斐 信好拓殖大学 国際学部 教授

1994年4月6日、ハビヤリマナ大統領機の撃墜とともにルワンダ大虐殺が開始された。当時のルワンダの人口は約780万人、そのうち少数エスニックのツチを標的に80万人がわずか3ヶ月の間に殺された。国際社会はこの事件を無視したとされる。それは(特に日本において)本当であったのか?虐殺の背景はどのように取り上げられているのか。本研究では、このルワンダ大虐殺が日本の代表的メディアであるNHKでどのように伝えられたのか、今日明らかになっている事実や虐殺の進行、国際社会の対応、国遠の動きも絡めて調査を行いたい。そのためには、海外ニュースや特集番組も含めアーカイブス利用が必須である。虐殺が開始された1994年4月から7月までをまず閲覧した上で、さらには虐殺から急速に復興し、IT立国をめざすルワンダの20年とその間の日本のアフリカ観の変遷を明らかにしたい。「アフリカ=かわいそう=私には遠い国」というイメージから、中国始め諸大国が入り乱れて、めざましい開発の途上にあるアフリカ。そのイメージの変遷を、紛争国の代表である(事実アフリカ報道の3分の一がルワンダがらみであった)ルワンダに検証する。

テレビが描いた貧困の表象とその意味構造 ― NHK報道・ドキュメンタリー番組を中心に

李 旼冑(イ ミンジュ)東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 学際情報学専攻 修士

1990年代バブル経済崩壊以降国内外経済不況が長引くとともに、日本社会から姿を消したと思われていた格差・貧困が社会問題として改めて浮かび上がった。その中マスメディアは広がる貧困の現状や原因・対策を探る番組を通じて貧困に対する議論や大衆的な認識を深めるに大きな役割を果たしたと思われる。しかしそのプロセスを検討する学術的議論や具体的分析は未だに数少ない。本研究ではNHK報道・ドキュメンタリー番組において貧困という「実在」が様々な装置によって社会的「問題」として構築される表象やその意味構造を明らかにすることを試みる。そこで時期・ジャンル・地理的な相違点からの生じる比較研究の視点を取り入れ、テレピアーカイブ研究からアプローチして行くテレビ史の中での報道・ドキュメンタリー(調査報道、investigating journalism)の構築や位置づけを検討することまで試みる。

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第3期

政府・自治体が先回り防災対策を講じるための時系列災害情報の作成

竹下 正哲拓殖大学 国際学部 准教授

かつて大震災を経験した者からすると、この震災でも次にどのような問題が起きるのか予想がつき、実際、その通りになっている。しかし政府・自治体は先回りして予防策を講じられていない。その理由は、予防策を作るために不可欠な時系列災害情報(24時間で何が起きるのか、48時間、半年、5年では?)が存在していないことにある。なそれが未だ作られていないかというと、データがすべて物語(体験談)になっているためだ。
申請者は防災研究室で学位を取得し、行政の各種防災委員会に参加してきた経験に加え、小説で太宰治賞を受賞した後、明石での物語による地域問題解決や、ネパールでの物語機能の発掘など物語研究に従事してきた。時系列データ作成には、防災と物語双方に精通することが必須となってくる。
本研究では①被災体験談(物語)からの問題データの抽出、②問題データを時系列に整理した「時系列災害情報」作成を行う。

リスク・コミュニケーションにおけるTVニュース報道の役割
― 食品放射能汚染の報道が、不安感情と知識取得に与える影響の検討

岡田 知子一橋大学大学院 社会学研究科 社会心理学専攻

本研究では食品放射能汚染を題材とし、①TVニュースが伝えたリスクに関する報道の量やフレームは人々が当該問題に対する不安感情にどのように影響したか、②その結果、リスクに関する積極的な情報収集、正確な知識の獲得は行われたのかを検討する。不安感情はリスクに対する態度の重要な規定因とされている他、心理学の知見に基づいた研究により、積極的な情報収集を促進することが示唆されている。だがリスクの主要な情報源であるメディアがリスクに対する人々の不安感情にどのように影響するか、そしてそれが情報収集や知識取得にどう作用しうるかは検討されていない。そこで本研究ではリスク情報源として多くの人に利用されているTV、特に科学部を有する唯一のTV局であるNHKが当該問題について行なったニュース報道の量・詳細な内容(フレーム)と、不安感情、情報収集、知識レベルとの関連を検討し、効果的なリスク情報の提供を行なう一助とする。

皇室取材をめぐるポリティクス ― 美智子妃ブームとその後の展開

森 暢平(代表者)成城大学 文芸学部 准教授

戦後皇室像が変容する画期として1959年の皇太子妃ブームがある。これを「大衆天皇制」の出現だとした松下圭一は、マスメディアの役割の大きさを指摘し、天皇制の正当性基盤が皇祖皇宗から大衆同意へと変化したと主張する。しかしながら、マスメディアは必ずしも大衆の同意を調達するとは限らず、場合によっては、大衆の不同意、無関心さを促すものでもあろう。一方、宮内庁にとっても、皇室を無制限に晒すことは皇室の尊厳を損なうことに繋がるはずである。こうした文脈から、皇室取材においてどのような力関係により報道がなされたのかを見つめ直すことは、大衆社会状況下の世論の形成過程に光をもたらすものとなろう。申請者3人はすでに科研費を得て宮内庁宮内公文書館所蔵の報道関係文書を調査している。そのうえで、皇室報道において放送メディアがどのような画像を撮影できたのかを確認できれば、申請者らの研究に、より厚みを加えるものとなろう。

映像メディアによる子どもの表象―発達の解釈に及ぼす影響と社会文化的変遷の分析

斉藤 こずゑ國學院大學 文学部 教授

少子化の進む今日、メディアで高齢者問題が前景化するのに比して少数派の子どもの問題は後退し、子どもを主題としたテレビ番組は、団塊ジュニア世代の子ども時代(1971−1986)に比べ質量ともに変化している。子どもの発達や教育は、問題事態に至って初めてメディアで焦点化されるが、養育者は時代や問題の有無によらず子育てに対峙し常に情報を求めている。テレビの伝える子ども情報は、養育者の子ども表象として再構成され子育て問題に寄与すると同時に、現実の固有な子どもとの齟齬が問題を生む可能性も孕む。本研究は子ども表象構成に歴史的に大きな役割を果たしてきたNHKテレビのアーカイブスコンテンツ分析によって、団塊ジュニア世代の子ども期、その世代が養育者となった少子化の現代(2000−)を比較し、子ども表象の変遷が現実の育児・教育問題といかに関わるかを検討し展望する。研究成果はメディアにおける子どもの表現方法へ寄与する情報としても役立てたい。

テレビ番組における「いじめ問題」の構成に関する研究

北澤 毅(代表者)立教大学 文学部 教授

「いじめ問題」は、2012年夏に報じられた大津事件をきっかけに「第4の波」が訪れたとみなされる。「第1の波」とされる1980年代中盤から、いじめの社会問題化は常に自殺事件報道を背景にしてきた。2000年のWHO勧告をあげるまでもなく、報道が自殺現象に影響を及ぼすことは周知の事実であり、新聞報道については批判的検討が可能であるとともに、実際、大津事件についても既に検討がなされている(『新聞研究』2012年10月号など)。
社会問題をめぐる報道の影響を把握しコントロールするための研究は、新聞とは異なりテレビには公開データペースが存在しないために困難であり続けた。本研究は、蓄積された映像資料から、いじめの社会問題化におけるテレビ報道の影響を明らかにする。テレビはいかなるメディア特性のもとで「いじめ問題」のかたちを構成し、視聴者に影響を与えるのか。アーカイブスはこの問題への社会学的接近を可能とする。

広場の映像:『現代の記録』、『現代の映像』に見る1960年代の都市史的研究

辻 泰岳東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻

本研究は『現代の記録』と『現代の映像』で扱われた広場に関する映像を取り上げ、1960年代の都市を考察することを目的とする。人々が集まる場を指す広場という主題は、そこでの人々の共同性を考察する対象として建築史・都市史分野で膨大な研究の蓄積がある。しかし戦後期(第二次大戦後)の研究は徐々に始まりつつある段階にあり、特に映像資料を利用した研究はわずかである。日本の1960年代は一般的に、東京オリンピックや大阪万博を経て共同性のありかたが揺れ動く都市化の時代と捉えられている。本研究は都市史研究の方法を参照しつつ、映像資料から導く新たな観点から歴史的に検証することで、そのような既定の時代像を更新することを目指している。
加えて申請者は日本建築学会建築アーカイブズ小委員会で建築資料の収集・保存・展示に携わっており、本研究を通じて今後整理されていく建築資料と映像資料との接点、連携の可能性を模索していきたいと考えている。

NHKアーカイブスをとおして見る1960年代学生運動イメージの変遷

小杉 亮子東北大学大学院 文学研究科 人間科学専攻社会学専攻分野

本研究の目的は、NHKの番組において、1960年代の学生運動が発生当時から現在に至るまでどのように描かれてきたかを分析し、その変遷を明らかにすることである。
1960年代後半、日本やアメリカ、西欧各国、メキシコなど世界中で学生運動が高揚した。今日この現象は、日本国内の出来事のみが焦点化され、<非現実的な革命を目指した一部学生による行動>と一面的に捉えられる傾向にある。しかし過去約半世紀の間、マスメディア上では複数のイメージが形成され、人びとに受容されてきたのではないだろうか。1960年代への関心が高まっている現在(小熊英二2009;油井大三郎編2012)、当時の学生運動の多面的把握は社会的・学問的に重要な意味を持つ。
NHKは日本人に長年信頼されてきた情報源であり、学生運動のイメージを考察する際に不可欠の対象である。アーカイブス利用は、NHKの諸番組を網羅的に検討できるため非常に有益である。

科学教育に関わる学校放送・デジタル教材コンテンツの学習論的・歴史的検討

吉岡 有文立教大学 文学部教育学科 特任准教授

本研究の目的は、学校放送コンテンツからデジタル教材コンテンツまでの推移を学習論と歴史的な視点から明らかにすることである。
このことは、現在、導入されつつあるデジタル教科書のデザインを検討することにもなる。デジタル教科書は、文章、映像、音声、ネットワーク等が有機的に結びついたマルチメディア・ハイパーメディアであるが放送コンテンツも組み込まれる可能性がある。例えば、現在の学校放送番組「10min.ボックス」はビデオクリップとしてweb上から視聴できる。また、デジタル教科書には、授業を情報共有、協同的作業、知識・情報の創造・発信、問題解決といった能動的・社会的活動へと拡張する機能が求められている。このことは今後の学校放送にも求められる機能である。
以上のことから、学校放送コンテンツの内容とその役割を検討しておくことは非常に重要であり、このことはアーカイブスを利用してはじめて達成できると考えられる。

テレビ・アーカイブで見る日本のドキュメンタリー理論
―『日本の素顔』に写された戦後日本 ―

丸山 友美法政大学大学院 社会学研究科 社会学専攻

筆者は、トライアル研究Ⅱ第一期に「ドキュメンタリー言説の変遷研究−「テレビ・ドキュメンタリー」の父・吉田直哉の番組分析による考察」に取り組んだ。この研究から、『日本の素顔』における「制作者の素顔」とドキュメンタリー構成の変容を明らかにした。(現在査読中)
しかしながら、『日本の素顔』が問われる際は常に、すでに評価された制作者と番組が取り上げられる。この傾向は、自明のうちに他の制作者や番組を闇に埋もれさせている。そのため制作者・制作局の違い、テーマ変遷、取材・編集構成の変容といった視点で批評し直す必要がある。
本研究はNHKアーカイブを活用して放送された306回全ての『日本の素顔』を「再一視聴」し、様々なテクスト分析を通して分解し、新たな注釈を加えていく(藤田2006)ことで、テレビによって「日本のドキュメンタリーらしさ」がどのように模索・転換されたのかを明らかにする。

第1期

テレビによる沖縄イメージの構築に関する研究 ~復帰前後のシーンと語りの関係から~

杉本久未子大阪人間科学大学 人間科学研究科 教授

本研究は、テレビ番組による沖縄イメージの構築を番組の中のシーンとナレーションの関係に注目して分析するものである。1972年に本土に復帰した沖縄は、歴史的に日本(ヤマト)とは異なる固有の支配体制、文化を保有する地域である。明治政府による琉球処分以降、言語をはじめとして日本への文化的統合が進められてきた。本土復帰をめぐっては、沖縄では独立論や反復帰論が一部で主張されたが、本土側では、保守から革新までほとんどの政治組織が復帰に積極的であった。その背景として、本土の人びとが日本の一部としての沖縄という概念に対し疑問がなかったことが想定される。テレビは当時、人々が沖縄のイメージを形成する重要なメディアであった。復帰前後に放映された、沖縄の生活や文化、歴史を紹介する番組から、沖縄のどの場面がどう語られ、日本の中に位置付けられていったのかを分析する。

テレビ番組における産炭地の表象とその変容に関する研究

木村至聖甲南女子大学 人間科学部 講師

2011年に山本作兵衛の炭鉱記録画が世界記憶遺産に登録されたのは記憶に新しいが、今世紀に入り西欧を中心に炭鉱の遺構が次々に世界遺産になるなど、炭鉱の記憶継承の取り組みが加速している。こうした流れのなかで、NHKアーカイブスの「〈炭坑〉の系」(水島・西・桜井2011)を成す多くの番組もまた、貴重な記憶遺産だといえる。とはいえ、こうした近代の「記録」を我々の「記憶」として継承していくにあたっては、当時の映像が置かれていた社会的文脈、および映像が戦後日本人の自己認識に与えた影響(丹羽2001)についての批判的理解が不可欠となるだろう。そこで本研究では、NHKアーカイブスの通時的な映像資料を利用して、テレビ番組における炭鉱や産炭地の表象が、いかなる社会的文脈において、いかに構成されてきたのかを経年的に分析し、そこに記録された映像の現代的意味について考察していきたい。

テレビ媒体において大相撲とその力士はいかに表象され受容されているのか
―“伝統”と“近代的制度”の狭間にある力士の身体についての現象学的研究―

川野佐江子大阪樟蔭女子大学 学芸学部 被服学科 化粧学専攻 専任講師

本研究は、大相撲とその力士達が、メディアの中でどのように表象され、どのように社会に受容されてきたのかを探り、そのことによって、神事、格闘技、競技、芸能、興業などが幾層にも織り込まれている相撲独特の世界観が、いかに一般社会と折り合いをつけて来たのか、あるいは、力士達の身体はどのように振る舞わざるを得なかったのか(土俵の内で、あるいは土俵の外で)、について調査研究するものである。とりわけ力士の身体に着目し①近代的美意識とは乖離した肉体とそれを作り上げる彼ら自身のアイデンティティ②「伝統」と「現代」が混在した“相撲美”を表象する身体について③われわれが相撲的身体に表象させたいことは何なのか、などについて探る。本研究にとってNHKアーカイブスは、その趣旨にそった相撲や力士の映像を日本中どこよりも保有しているはずであり、むしろその映像を利用しなければ研究が構成できないほど、有効な資料である。

NHKアーカイブス所蔵番組からオキュパイド・ジャパンを読み解く
―記録と記憶の研究の交差と可能性

長志珠絵神戸大学大学院 国際文化学研究科 教授

オキュパイド・ジャパンは忘れたい記憶なのだろうか。戦後史においても占領期研究は日米関係に偏り、人々の生活は見えない。代表者は占領に関する米軍資料と日本側文書の双方に注目して占領の記録を問い、共同研究者は生活史の観点から被占領住民への聞き取り調査と地方の記録をあわせて占領経験をとらえ、それぞれ成果をあげてきた。2人は歴史GIS研究にも加わり、今春、占領期を地図で表現する学際研究の成果を一般の人びとに問う機会を得た。この試みは占領期体験者たちの記憶を喚起し新聞取材等、高い社会的関心をよんだ。本研究では、占領期の日常にリズムと規律を与えていたラジオ番組を記録として重視、また占領終了後に制作されたテレビ・ラジオの回顧番組による記憶の構築にも注目する。保存された「記憶」と「記録」の解読により占領期固有のキーワードを取り出し、「戦後」の起源をさぐる本研究は、今後のアーカイブ検索にも貢献するであろう。

テレビ番組における「障害者が自立すること」の語られかたの形成と変容に関する研究

前田拓也神戸学院大学 人文学部 講師

本研究の目的は、「障害者の自立生活」が、日本のテレビ番組(とくにドキュメンタリー番組)のなかでどのように描かれ、語られてきたのか、その一側面を明らかにすることである。これまで、障害者の「自立」をめぐる言説は、「身辺自立」と「経済的自立(職業的自立)」を前提としてきたことにその特徴を見出すことができる。一方、とくに1970年代以降の障害当事者たちは、これら「伝統的な自立観」に対し、「新しい自立観」―自らの生活を主体的に選びとることをもって「自立」とすること―を主張してきた。こうした、日本の障害者(運動)の置かれた社会的/歴史的背景と、映像メディアにおける障害者表象はどのような関係にあるだろうか。以上の問いを探るための実証的データとしてNHKの映像アーカイブスを捉え、福祉政策や障害者運動の資料と照合させることで、「障害者の自立の現代史」の実現を目指す。

<上方文化>表象における漫才と戦後知識人

後藤美緒>筑波大学大学院 人文社会科学研究科 社会科学専攻

今日、大阪を中心にした<上方文化>表象の代表とされるのが漫才であるが、その成立に戦前の高等教育をうけた人々が放送作家として積極的にかかわったことは十分検討されていない。本研究は漫才番組および漫才をめぐるドキュメントにおいて、大阪を中心とした<上方文化>がどのような言葉や表現で現されてきたのかを明らかにする。同時に、漫才に置いては民間興行会社の放送作家たちが積極的に関わったことに留意し、彼らに着目しながら表象が生じるプロセスを明らかにする。後発的で、下層の大衆芸能とみなされた漫才は.近代メディアとの接触がカテゴリーの成立と高尚化に成功したことが指摘されており、放送作家たちに着目することで、娯楽的側面のみならず、メディアと<上方文化>、大衆及び知識人の関連が示唆される領域として漫才放送を位置づけることを可能にする。そして、歴史的検討から地域を拠点にした放送文化について考察する一助を提案する。

神々へのまなざし ―映像メディアに映し出された沖縄の「聖なるもの」への表象

平井芽阿里國學院大學大学院 文学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)

本研究のねらいは、沖縄の神々をめぐる事象が映像メディアにいかに表象されるのかを分析することによって、映像メディアの有用性を探究することである。沖縄各地で神事の衰退化が指摘され、早急な記録と保存の必要性が叫ばれる中、神々をめぐる事象にはタブーも多く、論文などの「文字」による記録に完全に依拠するには、もはや限界もある。これに対し、映像メディアを通した記録は、専門用語や学術的概念を超えた「記憶」ともなり得るため、時代変容に伴い、多くの神事が映像メディアに写し出されるようになった。しかし、このような映像メディアには全てをそのまま写し出しているとは限らないなど、映像メディアが果たした役割は未だ十分に検証されていないといえる。そこで本研究では、編集の過程で何が取捨選択されたのか、沖縄の「聖なるもの」に付加された表象を分析することによって、文字による記録と映像記録との融合性と可能性を探ることを目的とする。

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第2期

発話の冒頭に現れる提題助詞に関する実証的研究
—日本人の新しいコミュニケーションスタイルの解明に向けて—

有田節子大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国際英語学科 教授

本研究は、日本人の新しいコミュニケーションスタイルを解明することを目指し、日常会話で頻繁に耳にする発話の冒頭の提題助詞「は」(「今日、何で来たん?」「は−、新幹線。」など)をとりあげる。発話冒頭の助詞一般について西阪は「表現形式的な完結性」を達成するために先行発話に「寄生」したものと分析している。申請者の一連の研究では、自然談話やテレビの生放送の対談番組を手がかりに、「は」が典型的には質問に対する応答の冒頭に出現し.「は」がないとある種の「そっけなさ」を与えることを明らかにし、当該形式が聞き手への「最小限の配慮形式」であると主張している。NHKアーカイブスを利用し、一定の期間の複数の生の対談番組からデータを収集することにより、この主張の客観性・実証性を高める。さらに、この言語現象が現れるようになった2000年前後の対談番組を観察することにより、その発生の時期と背景を明らかにするつもりである。

障がい者スポーツの記録と物語

崎田嘉寛広島国際大学 工学部 講師

日本における障がい者スポーツは,1964年のパラリンピック東京大会を契機として競技化に向けた歩みが始まる。しかしながら,実際に競技志向が顕著に強まりメディアによる取り扱いが大幅に増えたのは,1991年に長野でのパラリンピック開催が正式決定されてからである。
そのため,1960〜80年代の状況に関しては,障がい者スポーツの本質を踏まえての発展に向けた萌芽期として重要な時期にもかかわらず,資料的な制約から学術的な位置づけが不十分なままである。
そこで,本研究は,1960〜80年代に日本国内で実施された,国際的な障がい者スポーツ大会をめぐる映像分析を試行し,スポーツ史的視点から考察を行なうことを目的とする。障がい者スポーツを対象とした映像を歴史的資料として活用することは,単に「記録」叙述の重層性を高めるだけではなく,障がい者スポーツに内包する「物語」的要素を客観的な史実にまで昇華させるためである。

映像で辿る戦後狂言復興の系譜〜善竹禰五郎の遺産〜

茂山(善竹)忠亮立命館大学 先端総合学術研究科 表象領域 学士

能楽にとって、先の大戦は「過去3大危機」に数えられ、存続の危機に陥った。
戦後の狂言史は、東京の野村萬、万作兄弟、京都の茂山千作、千之丞兄弟から説き起こされることが常である。彼らの活躍の基盤になったのは演出家、武智鉄二の存在である。しかし、武智の狂言に対する見識は、善竹禰五郎の師伝にあったことは、ほとんど語られてこなかった。
禰五郎は、維新、大戦という能楽界苦難の時期を生き抜き、その芸はひろく舞台芸術家に支持を得て、戦後の狂言界の第一人者として.1964年に狂言界初の「人間国宝」の指定を受けた。本研究では戦後の能楽番組を時代的に俯瞰することによって、禰五郎の芸のエッセンスが、武智を通じて今日の狂言に受け継がれていることを確認し.戦後から今日に至る狂言の復興と隆盛の本質を明らかにする。

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第3期

「炭鉱」イメージはいかに再生産されたか ― 筑豊炭田の事例を中心に

木村 至聖甲南女子大学 人間科学部 講師

NHKアーカイブスには数多くの炭鉱・産炭地に関するドキュメンタリー番組が保存されている(水島・西・桜井2011)が、その約3分の1は筑豊炭田を舞台とする番組である。戦後、石炭の主要供給地は九州から北海道へと移行していき(島西2011)、実際には筑豊の炭鉱の多くは1970年代までにほとんどが閉山してしまっていた。その後は、1)産炭地域のその後を描く番組、2)かつての炭鉱の記憶を紹介する番組が継続的に制作されたが、そのいずれにも、過去の番組に記録されたイメージを再利用した表現が見受けられる。こうして再生産され続けた筑豊の炭鉱イメージは、戦後日本人の集合的記憶の形成に大きな影響を与えたと考えられる。そこで本研究は、筑豊炭田に関する番組を素材として、過去のいかなる番組素材が引用され、新しい番組のなかでいかに再構成されているか、その結果いかなる「炭鉱」イメージが形成されたのかを分析する。

大相撲力士の身体表象に関する研究
― デザインされる肉体とライバル構図:横綱柏戸の身体性に着目して ―

川野 佐江子大阪樟蔭女子大学 准教授

本研究の目的は、大相撲の歴史の中でも一際注目度の高い柏鵬時代のー方の雄である柏戸関に注目することで、大相撲と力士の身体性はどのように表象され消費されるのか、ということを明らかにすることである。
「柏鵬」とは言っても人気や記録は大鵬関が圧倒的に注目されている状況で、あえて柏戸関に注目するのはその身体的特徴にある。柏鵬時代は高度経済成長を象徴するように力士の身体が重厚長大化する時代であるが、特に柏戸関は筋肉質で剛健な身体性を特徴とした横綱である。「剛」と称される柏戸関の身体は、本来はガラスに喩えられるほど脆いものでもあったが、「柔」の大鵬関と対峙させられることで、常に「剛」でいることを強いられた身体でもあった。
大相撲がテレビの大衆化と供に国民的人気となる柏鵬時代、その構図の中にある柏戸の「剛」的身体の表象を中心に追うことで、現代でもなお消費され商品化される力士の身体性について明らかにする。

文化人としての政治家 ― タレント議員の表象を事例として

笹部 建関西学院大学 社会学研究科 社会学専攻

本研究では、戦後のマスメディアの中で、知識人や芸能人とは異なる「文化人」がいかに表象されてきたのかを検証する。とりわけ、「タレント議員」と呼ばれてきた人々は、芸能界の中の文化的娯楽性から政界の中の規範的公共性を担う存在へと自身を変容させる文化人の一種であるが、そこでいかに「その人らしさ」(人称性)をめぐるコミュニケーションが行われるかを考察する。
これに関し、お笑い芸人が文化人に転身する際の変容を論じた先行研究が存在するが(近森2010)、NHKのコンテンツを通時的に扱った論考はない。加えて、先行研究では80年代以降のお笑い芸人が主な対象とされているが、それ以前の政治家へ転身する芸能人の表象は扱われていない。しかし、橋本徹と石原慎太郎が共同代表を務める「日本維新の会」の活動が政界に大きな影響を与えている現状を鑑みれば、彼らのようなタレント議員の考察は今後重要になるであろうと考えられる。

テレビ番組を通じて形成される宇宙への想像力

板倉 史明(代表者)神戸大学大学院 国際文化学研究科 准教授

本研究は、NHKアーカイブスに所蔵されている宇宙関連の番組を分析することによって、日本人が抱いてきた宇宙に関するイメージや想像力の変遷の一端を明らかにするものである。
テレビは各時代の最新の知を動員して宇宙に関する教養番組を製作したり、同時代の宇宙開発の最新情報を報道番組として伝えたりしてきた。しかし、これまでテレビ番組における宇宙表象と日本人の宇宙観の関係が、具体的な映像・音声に基づいて分析されたことはなかった。本研究では、特に宇宙開発競争が激化した1960年代から、毛利衛がスペースシャトルで日本人初の宇宙飛行士となった1992年までの番組を分析対象とし、それらの番組を映画学の専門的な分析手法によって具体的に読み解くことによって、日本人の宇宙に対する想像力の歴史化を試みる。分析対象候補となる映像はNHKアーカイブスにのみ収蔵されており、閲覧を希望するものである。

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2016年度第1回

放送博物館

文字言語で語る小説・小説家が映像媒体で語られる時

山口俊雄日本女子大学文学部日本文学科・教授

文字言語が映像(視聴覚言語)の中に置き換えられ、ある種の越境を果たしたときに、どのように変質するか、またどのように新たな価値を付与されるかを明らかにすることにより、もとの小説作品の魅力や作家のあり方に新たな照明が与えられ、作品の価値・魅力を再定義することができる。ただ、そのためには具体的な映像作品(番組)を繰り返し視聴するという基礎的な作業が欠かせない。ヴィデオ商品として出回っていない以上、アーカイブスにアクセスせずにこの作業をすることはできないため、アーカイブス利用は必要不可欠である。

NHK電子音楽スタジオにおいて作曲された電子音楽作品のデータベースの確立

川崎弘二(代表者)大阪歯科衛生士専門学校・非常勤講師

NHKにおける電子音楽の制作は、世界的に見ても極めて早い時期から着手され、いわゆるNHK電子音楽スタジオにおいて作曲された作品群は、現在でも国際的に高い評価を得ている。しかし、研究代表者のこれまでの調査から、NHK電子音楽スタジオにて作曲された作品群についての詳細なデータベースは確立できていないのが現状である。そこで、本研究ではNHKにおいて制作された電子音楽についての情報を、正確に整理することを目的としている。

テレビにおける古典文学作品関連番組と高等学校「古典」との連携
―教科書採録場面に関する番組を授業に還元するために―

春日美穂大正大学教育開発推進センター・専任講師

高校生にとって「古典」はなかなか理解しにくい科目である。教科書に採録されている場面に関する番組映像を視聴し、作品や場面に関するイメージを持たせることは、教材理解、ひいては、日本の古典文学そのものへの理解関心を深めることに直結する。NHKアーカイブスには、古典文学作品の関する多くの番組映像が残されている。その代表的なものが1989~1991年に放映された『まんがで読む古典』シリーズである。
ほかにも『歴史秘話ヒストリア』など、理解を助ける番組は多い。しかし現状において、そうした番組と高等学校「古典」の教科書に採録されている作品、場面を紐付け、授業への還元を促す取り組みは行われていない。番組映像における古典文学作品と高等学校「古典」の教科書の採録場面とを一斉調査報告することで、高校生の理解を助け、日本の古典文学作品が将来まで読み継がれていくための一助とすることが本研究の目的である。

映像メディアに探る、子どもの発達と権利の表象の変遷

斉藤こずゑ國學院大學文学部・教授

子ども世代と親は、子どもの成長発達期間に公共化された映像メディアの影響を受け、また逆に影響を与えるという、双方向的関係を持つものと仮定される。少子化の進む今日、メディアで高齢者問題が前景化するのに比して少数派の子どもの問題は後退し、子どもを主題としたテレビ番組は、団塊ジュニア世代の子ども時代に比べ質量ともに変化している。公共映像メディアとして主要な役割を担うNHKアーカイブスのコンテンツを、子どもの発達と権利に関するその時代の価値観や相互行為の変遷に焦点化して分析することは、過去の発達表象の成り立ちや将来世代の表象の予測を可能にする。団塊ジュニア世代の子ども期(1971-1986)、その世代が養育者となった少子化の現代(2000-)を比較し、子ども表象の変遷が現実の育児・教育問題といかに関わるかを検討し展望する。成果は研究メディアにおける子どもの表現方法へ寄与する情報としても役立てる。

映像資料による興行街浅草と大衆芸能・演劇の表象に関する研究

細井尚子(代表者)立教大学異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科・教授

1980年代以降、昭和戦前期を代表した芸能・演劇人の相次ぐ逝去を機に、ジャーナリズムでは昭和戦前~戦後期の芸能・演劇の回顧が盛んとなり、江戸以来の伝統芸能・演劇とは異なる近代的な大衆芸能・演劇の歴史化が進む。この時の歴史化は、これ以前が回想や活字資料を基にしていたのに対し新しく映像資料が活躍した点で性格を異にした。特にテレビは、視聴者という集団の記録の共有と記憶の共有の両面で機能した点で重要なメディアであった。本研究では、テレビの映像資料に於ける興行街浅草とその芸能・演劇、演者の表象(テレビの中でこれらはどのように語られたか、また当事者達はどのように語ったか)を分析することで、日本の近代的な大衆芸能・演劇が歴史化される過程を検証する。

高度成長期のテレビドキュメンタリーにおける「青少年問題」
-『日本の素顔』『現代の記録』『現代の映像』を対象として-

石岡学同志社大学文化情報学部・助教

本研究の目的は、高度成長期のテレビドキュメンタリーにおいて、青少年の学び・教育に関わる問題がどのように取り上げられ描かれていたのかを、社会学の観点から明らかにすることである。高度成長期は、青少年の学び・教育を取り巻く状況が、社会的な格差をともないつつさまざまな形で変容を遂げ、問題化した時代である。具体的には、受験競争の激化、進学・就職にともなう人口移動増、非行・少年犯罪の多発などが挙げられる。こうした現象がテレビ番組においてどのような「問題」として描かれていたのかを明らかにした研究は、管見の限り存在しない。しかし、テレビというメディアが爆発的に普及していくこの時期、テレビが「問題」の社会的構築に果たした役割は決して小さくなかったと考えられる。NHKアーカイブスに保存された番組群を研究対象とすることで、上記の課題へのアプローチを試みたい。

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大阪放送局

外国語教育を目的としたメディアコンテンツ制作の方法論の歴史的変遷
-NHKフランス語教育番組を事例として

今中舞衣子大阪産業大学教養部・専任講師

本研究は、NHK「テレビでフランス語」およびその前身となるフランス語教育番組を時系列的に分析・整理することにより、外国語教育を目的としたメディアコンテンツ制作の方法論の歴史的変遷を明らかにするものである。フランス語教育を目的としたテレビメディアに関するこれまでの研究は、言語教育を目的として制作されたものではないドラマやCM、ニュース番組等をいかに授業のコンテンツとして利用するか、という観点からなされたものであり、フランス語教育を目的として制作されたテレビ番組が対象となったものは皆無である。本研究では特に、フランス語教育を目的とした教育番組で扱われる言語的・文化的要素がどのような方法で提示されているか、どのような方法で視聴者との相互作用が図られているか、その方法は特定の教授法や根拠となる理論とどのような関係にあるか、という問いに答えようとするものである。

1980年代前半期のマイコン・パソコン文化形成にメディアが果たした役割

鈴木真奈京都大学文学研究科現代文化学専攻・非常勤講師

2015年現在において、「パソコン」と「マイコン」という語は全くの別物である。マイコンは家電製品の制御といった特定の目的のために組み込まれる小型で単機能のコンピュータを意味するものであり、マイコンブームの当時に製品開発者側が想定していたマイコンの在り方もこちらであった。しかし、1980年代前半期は、「パソコン」「マイコン」という語の使われ方が曖昧になされていた。特にテレビ番組のような動画による情報は、インタビュー調査などから当時の若年層ユーザーに強い影響をもたらし、「テレビでやっているのを見て欲しくなった」というインタビュー結果も出た。実際にどのような文脈で「マイコン」という言葉が、現在で言う「パソコン」とどの程度近しく使用されていたのかを見ると共に、「マイコン」で何が可能になると考えられていたか、当時の報道・教養番組から分析する。

メディアが描いた米軍統治下沖縄-日本本土メディアの沖縄へのまなざし

大城由希江神戸大学大学院国際文化学研究科文化相関専攻・大学院生

本研究は、米軍統治期の沖縄において制作されたNHK番組の検討を通して、日本のメディアで表象された「沖縄」言説の一端を明らかにするものである。申請者は沖縄のラジオ放送について調査する中で、NHKの現地メディアへの影響力や沖縄を語る文脈の多様性に気づいた。同時代のNHK番組は、現地取材を経たドキュメンタリーや沖縄を主題とするドラマ等により統治下の社会状況を日本に伝えた。これらは、沖縄をまなざす人々の意識形成に影響を与えたとされ、沖縄イメージの構築という観点から復帰前後の語りが注目されてきた(杉本2014)。本研究は先行研究を踏まえ、対象を米軍統治の全期に広げ、言説分析に加え沖縄を語る要素として登場する地域と人物に着目する。地域史や当時の世論との対比を通して番組の意図や機能を考察し、沖縄をめぐるメディア表象の特徴と変遷を解読したい。当該期の検討は、今日に至る沖縄問題の系譜を再考する意味で重要であろう。

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2016年度第2回

放送博物館

「NHK番組アーカイブス」を対象とする、小津安二郎監督・作品をめぐる言説分析

宮本明子東京工業大学環境・社会理工学院・助教

「NHK番組アーカイブス」を対象とする、映画監督・小津安二郎とその作品についての言説分析は、2016年現在、ほぼ未開拓の状況である。本研究に着手し、(1)「巨匠」としての小津の評価が形成されてゆく過程、(2)小津とその作品をめぐり、いつ、どのような言説がみてとれるのかを明らかにしたい。具体的には、1981-2015年までの、「報道」、「批評・評論」、「出演者・関係者が語る映像」をはじめとする一連の映像を精査する。
小津については、すでに国内外で多数の貴重な論考、研究が重ねられてきた。これらを補強しつつ、新たな観点から小津とその映画を論じるための基礎的データを整える。あわせて、本アーカイブから、映像資料のアーカイブ化・運用の方法を学び、映像アーカイブの可能性、意義を検討することも主眼としている。

都市・地方の構造的な"分擬"の成立と変質-高度成長期のドキュメンタリー番組の分析による-

春木良且(代表者)フェリス女学院大学国際交流学部国際交流学科・教授

東京、大阪を中心とした都市部と、その対立的な存在としての地方という、対立構造で日本の社会を捉えることは、現代ではごく当たり前の観点である。特にその延長として、東京への一極集中による弊害と、限界集落論に代表される、地方都市の疲弊や過疎化などは、近年しばしば指摘される問題であり、未来社会を考える場合の暗黙の前提ともなっていると言えよう。こうした都市と地方という分化した社会構造のイメージは、どのように形成され、またその内容はどうのように変化していったのであろうか。本研究では、特に高度成長期における、都市部への人口の集中と産業の集積といった社会事象との関係性に着目する。その時代を通して、時系列的に社会を記述したドキュメンタリー番組を素材に、コンテンツ自体と表現などメタレベルの2つの観点から、都市と地方のイメージが形成され、それぞれが明確に対立構造を持って行った分擬のプロセスを検証する。

外交政策と経済発展:世界の報道からみる多角的分析

東郷賢武蔵大学経済学部・教授

様々な国の報道から外交政策と各国の経済発展の関係について多角的に理解することを試みる。経済発展の要因に関する今までの経済学的な研究結果に、新たな要因「外交」を加える可能性を,報道を通じて分析する。経済学の研究において、今まで外交政策と経済発展の関係については軽視されてきた。本研究では、この点について考察を行う。ドキュメンタリーは作者の意図が入る余地はあるものの、事実を正確に伝える面もある。ドキュメンタリーによって記録された歴史の一部を分析の材料として利用することで、より現実的な経済発展の分析が行えると確信している。

テレビが描く患者像とその変遷に関する研究

加藤美生(代表者)東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学・特任助教

1953年に日本でテレビ放送が開始して以来、テレビは全ての年代にとって身近なメディアとなった。本研究では、戦後50年間のNHKドキュメンタリー番組において、患者像がどのように表象されてきたのか、また、病いだけでなく患者が対面する個人的および社会的課題を抽出し、考察する。病や患者像は時代とともに変化しているが、その変遷についてテレビ番組を通じて明らかにした研究はまだない。本研究は、1965年〜2015年に放映されたNHK総合テレビ、NHK Eテレの番組について、描かれた患者像を人口統計学的情報、病いとその個人的および社会的課題について調査することにより、ドキュメンタリー番組における患者像の描かれ方、患者周囲の環境の時代による変化を明らかにする内容分析である。本研究結果により、ドキュメンタリー番組制作における新しい視点を提言できるとともに、多様な患者像について視聴者の理解を深めることが期待できる。

NHKアーカイブスにおける湖沼環境問題を中心にした湖沼水環境の記録と変遷

川村志満子筑波大学大学院生命環境科学研究科・大学院生

湖沼は流域から運搬された汚濁物質が蓄積するという特性を有する。国内で水質が改善した湖沼の例は未だに少なく、近年は外来種による脅威や水草の繁茂など水環境問題の多様化がみられる。湖沼環境問題の改善と解決には社会の協力が不可欠である。しかし、人びとの湖沼への関心は時代や流行により変化し、環境問題への関心の焦点もそれにともなう多様化が推測される。NHKでは水質汚濁防止法が制定された1970年代以前から湖沼の水環境に関する番組があり、記録された環境変化と人びとの様相は、湖沼への社会的関心の分析に適した資料である。本研究はアーカイブスに保存された記録から、社会の湖沼環境への一般的な関心の内容と変遷の分析を試みるものである。対象とする複数の湖沼を一括して比較することで湖沼環境への一般的な関心の傾向と地域的な特色を分析する。分析結果は、湖沼の水資源的価値の見直しや環境意識啓発への材料となる可能性を持つ。

「空き家問題に関する個人、地域、社会全体の視点:NHKテレビ番組を手がかりに」

湯上千春尚美学園大学総合政策学部・兼任講師

本研究は都市部でも地方でも増加を続ける空き家問題がテレビでどう取り上げられてきたかを分析、考察する。そして持ち主個人の問題であった空き家が、増加、老朽化により地域の問題になり、そして地域だけでは対処できない社会問題ともなっている複雑な状況と変遷を明らかにすることを目的とする。
NHKの番組は、空き家問題を様々な形で取り上げてきた。空き家の現状、その要因となる背景といった情報を伝えることだけでなく、様々な立場の人々が共に話し合い、考えるという機会となる番組も提供してきた。こうした番組や番組内のコーナーは自分だけの問題ではなくなった空き家についての多様な角度からの見方についての貴重な資料である。
本研究では空き家問題に関する要因と今後の解決策への手がかりを提供する資料としてアーカイブスを捉え、これからの有効な研究利用についての可能性を探る。

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大阪放送局

1960年代のテレビドラマと〈文学〉をめぐる基礎的研究
―谷川俊太郎作「あなたは誰でしょう」・小田実作「しょうちゅうとゴム」・寺山修司脚本「一匹」を読む/視る―

瀬崎圭二同志社大学・准教授

本研究の目的は、1960年代のテレビ文化黎明期において、文学及び文学者がその新しいメディアをどのように捉え、そこにどのような可能性と限界を見ていたのか、明らかにすることにある。テレビドラマ制作という形として具現化される文学とテレビとの接触は、結果的に文学の消費を促すことになるが、そこに潜む様々な力学を暴き出すことが本研究の主要な目的である。これまではNHKの公開ライブラリーで視聴可能なテレビドラマのみを分析対象としてきたが、NHKアーカイブスに所蔵されているテレビドラマをも視野に入れた研究を展開すること計画している。テレビドラマ制作にかかわった文学者の総体を視野に入れた研究は、体系的な形では未だ存在していないため、いずれはそれを著書としてまとめることも企図している。本研究は、その一断片としての性質も持っている。

中央アフリカ共和国の表象を再構築する:「海外取材番組 アフリカ大陸を行く」(1959〜1960)を中心に

内海博文(代表者)追手門学院大学社会学部社会学科・准教授

最貧国という言葉で語られる国の一つに中央アフリカ共和国(以下、中ア)がある。訪れる機会は乏しく、わずかな報道も貧困や内戦、HIV/エイズの蔓延といった悲惨さを伝えるものばかりである。我々が中アに関して持つ表象(と現実との乖離)ゆえに、中アに関する直接的・間接的な情報は、最貧国に象徴されるネガティブなものだけが増えていく。
そうしたネガティブな語りに陥ることなく中アについて語ることは、いかにして可能か。問い直すべきは、中アに対して我々が持つ表象である。では、我々は中アに関してどのような表象をどのように獲得してきたのか。表象の流通を支えてきたのは、映像による報道をはじめとするメディアの情報である。ならば、中アに関する報道を、事後的な批判ではないかたちで検討することは、中アの表象の問い直しにとって有益であろう。語られてきた言葉から中アを解き放ち、その表象を再構築すること。これが本研究の目的である。

レジリエンスデザイン学研究の資料としての、映像の活用方法の研究
ー被災地や被災者のレジリエンスデザインへの貢献ー

尾方義人九州大学 大学院芸術工学研究院・准教授

本研究の目的は「仮設住宅」をうつしだすことを本来の目的にしていないドキュメンタリーから、仮設住宅や仮設住宅利用者の生活(道具や家電や空間)をデザイン学の方法でよみとき、次に生かしていくためのレジリエンスデザインの方法である。被災地や被災者の住宅や生活を生活の中に入り込んで取材をすることは大変難しい。しかしそこにある被災者の苦労や努力・思いを「デザイン学の方法(エクストリームユーザー観察方法)」では読み解くことができる。被災者に負担をかけることなく実際の映像を読み解いてい行く事で、被災者の経験が必ず起こりえる次の災害に役立つものをつくる要件になりえる。被災者自身が減災に協力でき、アーカイブスの新しい意義も抽出できる。

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2016年度第3回

放送博物館

戦後描写されてきた民主主義および主権者としてのあり方

塚田純東北大学大学院情報科学研究科人間社会情報科学専攻政治情報学・博士特定研究員

本研究は、民主主義の枠組みが一定的に構築され、独立国となった後、どのような民主主義のあり方がNHKにより伝達されてきたのかを明らかにする事が目的である。その大枠において着目するのは、戦後、政治的な主権者となった人々をどのような政治的な存在として描写し、どのような政治的な役割り、期待、規範を課していたかである(Mediated Citizenship)。これまで、同テーマにおいて、日本の戦後独立直後における東京三大紙(朝日、毎日、読売)を扱った研究はあるが、公共放送であるNHKを取り扱った研究は無い。本研究は、主権者教育が実践されてこなかった戦後日本において、NHKがどのような主権者としてのあり方を伝達してきたかを解明し、現状の民主主義とそれを構成する主権者のあり方を再検討する。

「阿波踊り」の統一的集団舞踊への変容とメデイアへの反映

小林敦子明治大学情報コミュニケーション学部・助手

本研究は、博士論文のテーマである「戦後の『阿波踊り』の統一的集団舞踊への変容」(仮題)の一部分として、1990年代から2015年における「阿波踊り」の「統一的な集団舞踊」への変容を実証的に検証するために行う。具体的には、(1)主となる楽器の変化(三味線→太鼓)と三味線奏者の育成効果、(2)現在の女踊り」の所作(両手を高く挙げ、遊脚は後ろに蹴り上げる)が確立する過程、(3)「男踊り」の三大主流が確立する過程、(4)整然としたフォーメーションを組む集団舞踊」が標準となる過程、(5)踊りの動作軌跡とタイミングの統一化が進む過程を、映像により分析し、これまでの文献調査およびフィールドリサーチにより得た成果と突き合わせる。また、踊り手の撮影がどのようなアングルから行われているか、「阿波踊り」がどのように表象されているかを分析し、「阿波踊り」の変容におけるメデイアへの反映を考察する。

育児・教育映像メディアに探る、子どもの発達と権利の表象の世代変化

斉藤こずゑ國學院大學文学部・教授

子ども世代と親は、子どもの成長発達期間に公共化された映像メディアの影響を受け、また逆に影響を与えるという、双方向的関係を持つものと仮定される。少子化の進む今日、メディアで高齢者問題が前景化するのに比して少数派の子どもの問題は後退し、子どもを主題としたテレビ番組は、団塊ジュニア世代の子ども時代に比べ質量ともに変化している。公共映像メディアとして主要な役割を担うNHKアーカイブスのコンテンツを、子どもの発達と権利に関するその時代の価値観や相互行為の変遷に焦点化して分析することは、過去の発達表象の成り立ちや将来世代の表象の予測を可能にする。団塊ジュニア世代の子ども期(1971-1986)、その世代が養育者となった少子化の現代(2000-)を比較し、子ども表象の変遷が現実の育児・教育問題といかに関わるかを検討し展望する。成果は研究メディアにおける子どもの表現方法へ寄与する情報としても役立てる。

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大阪放送局

主婦向け情報番組に見られる番組参加者の言語行動の特徴について
―「主婦」を形成する情報は番組参加者を通してどのように発信されてきたのか

西野由起江大阪大学文学研究科文化表現論専攻日本語学専門分野・大学院生

単語「主婦」が示す日本語には、辞書的な意味以外に様々な意義が内包されている。それらは国、地域、年齢層、多様な性差の自認によって、主婦がもつ意味は異なっているはずである。NHKでは1966年の「こんにちは奥さん」放送開始以来、現在の「あさイチ」まで、いわゆる主婦層に向けた朝の情報番組を放送しており、それらの番組で扱われてきたテーマがどのように放送され、伝えられようとしてきたかを観察し、番組参加者の役割と使用語彙から主婦向け情報番組の情報伝達のための言語行動の特徴を見出す。公共放送であるNHKは、全国に向けて平等に情報を発信し、その内容は常識的なものであり正確なものとして受け入れられることが前提となっている。一見堅苦しい正しさを、主婦に向けてどのような形式で伝えてきたのかを観察するためには、過去の番組から現在までの番組を比較する必要があり、アーカイブスの使用が不可欠である。

映像はいかに戦争死者を慰霊するか

塚原真梨佳情報科学芸術大学院大学メディア表現研究科メディア表現専攻・大学院生

本研究の狙いは全国戦没者追悼式をはじめとした国家的慰霊行事がメディアの中でどのように表象されてきたのかを分析し、慰霊行事のテレビ中継が慰霊という行為にいかなる影響を及ぼしてきたのかを現代の慰霊論として捉え、その一側面を明らかにすることである。本来極めて私的かつ場所性に依拠した行為である慰霊が公的なイベントとして社会に溶け込んだ背景には、マスメディアによる慰霊行事の報道、とりわけテレビ中継の存在が重大な役割を果たしたと考えられる。慰霊行事が全国に「中継」されることで慰霊の「いま・ここ」性は失われ、慰霊はもはやひとつのメディア・イベントと化した。戦没者慰霊の映像表現の変遷を分析することは、戦争死者の亡霊がいかに表象され、消費されてきたかを明らかにすることである。その実相を明らかにすることで、これまで宗教学や民俗学の一分野に留まっていた慰霊論に新たな視座をもたらすことを目指す。

「論争中の病」はどのように伝えられてきたか――病気イメージの形成プロセスの解明に向けて

野島那津子日本学術振興会(東京大学大学院人文社会系研究科)・特別研究員(PD)

「論争中の病」とは、さまざまな症状があるにもかかわらず、検査でその原因を特定できないため、患者と医師または医師同士で論争が生じる病をいう。主なものに、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群、線維筋痛症、過敏性腸症候群がある。こうした病は、医師や一般の人々から「精神的なもの」「性格の問題」「やる気がない」などと捉えられる傾向にある。実態とは異なるこうした病気イメージは社会に流通しており、別のイメージを浸透させることは難しい。本研究では、こうした病気イメージの形成プロセスを明らかにする一環として、論争中の病を先駆的に取り上げてきたNHKのテレビ番組において、それぞれの病がどのように伝えられてきたかを考察する。また、論争中の病をめぐる社会的出来事と照らし合わせながら、番組の情報が「知識」として流通するプロセスについても検討し、そうした「知識」と病気イメージとの関連を考察する。

“新しい”テレビ・ドキュメンタリーが描くもの~「ドキュメント72時間」と日本の"群像"~

松本章伸龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科/特任講師

本研究は、NHKでは新しい取材スタイルの「しばり」を用いて制作された番組『ドキュメント72時間』を取り上げ、これまでのNHKのドキュメンタリーの制作スタイル・テーマ・トピック・取材対象者の変遷とそれぞれの表象手法の変容を明らかにする。通常、取材前の徹底した取材対象者への調査を行い、撮影台本を基に現場での取れ高を考慮しながらその後の取材方針を決めて撮影を進めて行く制作スタイルは変わらない。しかし、取材対象者と取材者との距離感・関係性の構築に加え、長期間の取材でテーマを掘り下げていくドキュメンタリーとは一線を期すると言える。1人の取材対象者への一点深堀の取材というよりも、むしろ取材現場で繰り広げられる人々の営みをオムニバス的に「群像」として描いている。この新たなドキュメンタリーの手法は、何が描けて何が描けないのか。制作者へのヒアリングを交えながら、新たな手法と格闘するプロセスにも目を向けたい。

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2016年度第4回

放送博物館

東京パラリンピック大会(1964)映像の意義

崎田嘉寛広島国際大学工学部住環境デザイン学科/講師

本研究の目的は、最近発掘された2件の東京パラリンピック大会(1964)に関する記録映像を当時放送されたテレビ映像と比較分析することである。発掘された記録映像の一つはアマチュアカメラマンによる約8分間のカラー映像であり、観覧者に近い視点で撮影された映像という点に特徴がある。もう一つは厚生文化事業団による約45分間のモノクロ映像であり、複数作成されたことが確認されながらも発掘に至っていない記録映画の一つである点が特徴的である。いずれも、テレビ放送とは異なる視点から撮影あるいは編集されたと考えられる。申請者は、関西トライアルⅡ第2期「障がい者スポーツの記録と物語」において、散逸する東京パラリンピック大会(1964)に関するテレビ放映を集約して閲覧し、その内容を分析してきた。ここでの成果を踏まえて、新規発掘映像と比較分析することで、東京パラリンピック大会(1964)の歴史的意義を再考したい。

戦後日本のドキュメンタリーにおけるダイアログ映像の分析:『日本の素顔』を中心に

洞ヶ瀬真人名古屋大学大学院国際言語文化研究科/学術研究員

「1960年代のドキュメンタリーでは、人々の様々な会話・対話(ダイアログ)を捉え、それを複雑多様に作品に表現する手法が顕著である。これを早期に評価した羽仁進によれば、それらは制作者の主張を視聴者に訴えるよりも、撮影対象となった社会問題の複雑な様相に、ドキュメンタリーの作品表現を通して向き合うことで、制作者と視聴者が問題について共に考えることを目的にしていたと言う。本研究では、こうした表現に及ぼした影響が大きい『日本の素顔』の初期作品や、その前身になっていたラジオ番組に注目し、ダイアログがその中でどう表現されていたのかを実際に検証したい。60年代の政治の時代に、主義主張を一方的に伝えるのではなく、視聴者の思考と議論を喚起するために使用された表現をふり返ることは、政治問題の重要性が再び増す現代、これからのドキュメンタリーの指針となるはずだ。」

占領期ラジオ番組『真相はこうだ』と『質問箱』の批判的談話分析
―GHQ対日占領政策の変遷はラジオ番組にどう反映されていたか―

太田奈名子東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻/大学院生

本研究の目的は、日本占領期の一次史料の分析を通して、「談話の言語学的視座からの考察」の社会における有益性を示すことにある。具体的には、批判的談話分析の理論的枠組みによって、日本占領期のメディアの談話を精緻に分析することで、GHQの占領政策のイデオロギーが、当時日本国民が日常的に触れていたテクストに如何に反映されていたかを明らかにする。批判的談話分析は、日本においては特に東日本大震災以降、メディア言説に隠された権力者側の意図や誘導を可視化する研究に役立てられてきた。しかし、批判的談話分析の対象として、日本語の歴史的一次史料が扱われたことは未だ無い。本研究では、NHKアーカイブにのみ所蔵される一次史料を調査、分析し、分析対象の番組を占領期当時の社会背景の体系的理解を踏まえ考察する。その上で、メディア史・占領史研究における言語学的観点からの考察の有効性を示す。

「アップのベン」再考―和田勉の初期テレビドラマ作品における演出技法の特性

木原圭翔早稲田大学坪内博士記念演劇博物館/助手

本研究は、和田勉(1930-2011)の初期テレビドラマ作品(1957-69)を対象とし、「アップのベン」の異名でも知られた和田独特の演出技法(クローズアップの多様)の分析と、テレビドラマ史における和田作品の意義を検証していくことを目的としている。しばしばフルショットやロングショットが多用される映画との対比として、クローズアップはテレビ的技法として言及される。和田自身も映画との対比で自らの技法の特性を論じているが、ロングショットだけでなく、クローズアップもまた紛れもなく映画―とりわけサイレント映画―においては特権的な技法の一つだったのであり、映画=ロングショット、テレビ=クローズアップという対比はそれぞれの技法を単純化しすぎている。本研究は、NHK番組アーカイブスに現存する数少ない和田演出のドラマ作品を手掛かりにして、テレビ特有のクローズアップ技法を実証的に分析していくことを目指す。

歌舞伎公演における「大向こう」の時代変遷-劇場中継を「実演舞台の実況記録」として使用する

坂部裕美子公益財団法人 統計情報研究開発センター/研究員

歌舞伎公演時に客席後方からかかる「大向こう」は、演出の一環とも見なされる重要な存在である。しかし最近は、客席から声がかかる局面が非常に限定的になっている、という印象がある。そもそも日本の演劇興行では、新派や新国劇なども同様に「客席から声をかける」という観劇習慣があったはずなのだが、近年は「舞台は静かに観るもの」という意識が浸透しているのか、他分野公演においても客席からのかけ声を聞くことは稀になっている。この現象について、長期間の記録の比較が可能なNHKの劇場中継映像を用いて検証する。本来は複数の演目、さらには複数の分野について比較考察を行うのが望ましいが、先例のない実験的な研究でもあることから、今回は横断比較が容易な、歌舞伎の特定の一演目のみを対象とする。

「東洋の魔女」を指導した大松博文のスポーツ指導観の社会的共有に関する研究

鈴木秀人東京学芸大学教育学部健康・スポーツ科学講座体育科教育学分野/教授、分野主任

申請者はこれまで、我が国の運動部に見られる暴力的行為が旧軍隊に発するとした所謂「軍隊起源説」の検討を行い、その俗説が社会的に共有されていく過程において、1964年の東京五輪で女子バレーボールチームを金メダルへ導いた大松博文のスポーツ指導観が、軍隊経験とスポーツ指導を結び付ける典型例として理解できることを明らかにした。しかしながらこの見解は、大松や選手達が書き残した文献の分析によって導かれたものであり、アーカイブスに残されている大松や選手達、そしてそれに熱狂した人々の肉声を分析の対象に加えることで、申請者の捉え方の妥当性を検証することを研究の目的とする。

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大阪放送局

"テレビは女性をどのように描いてきたか
―NHK朝の連続テレビ小説における表象と受容に関する文化社会学的研究―

稲垣恭子(代表者)京都大学大学院教育学研究科/教授

現代社会において、生きかたのモデルとしてメディアの果たす役割は大きい。特にテレビドラマに描かれる女性は、現実の女性の生きかたを反映すると同時に、憧れや欲望の表象として重要な機能を果たしている。長い歴史をもつNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は、これまで女性の生きかたを描くものとして、主として中高年を中心に視聴されてきた。しかし近年、20歳代の女性視聴者が急増する傾向がみられる。本研究では、1980年代以降の朝ドラの変容と近年の傾向をおさえた上で、とくに最近の作品を中心に、女性や家族をめぐる表象について文化社会学的な視点から分析すると同時に、現在の女子大学生がそれらをどのように解釈・受容し、自らの生きかたのなかに内在化させているかを明らかにする。

野球放送における歴史と表象

根岸貴哉立命館大学大学院一貫制博士課程先端総合学術研究科先端総合学術専攻/大学院生

スポーツメディア論の立場から、日本における野球中継の歴史的変遷、およびメディアの狙いを明らかにすることを目的する。そこで、NHKアーカイブスを用い、過去の野球中継を参照する。野球中継は日本において、メディアともっとも関わりが深い。歴史的にもテレビ放送当初から、多く放映されていた。しかし、今日では、そうした過去の野球中継の映像を見ることは難しく、研究の俎上にもあがりづらい現状がある。そこで本研究では、過去の野球中継からマス・メディア、おもにテレビ局が、どのような狙いのもとで野球中継を放送していたのかを明らかにすると同時に、それらの技術的な変化や表象の変化などを明らかにする。これらは、スポーツ史、メディア史、スポーツメディア論などの分野に多大な影響を与えることができる。同時に、メディアが押し出す「野球」のイメージを明らかにすることで、表象論的な議論への発展も期待できる。

NHKテレビ番組における発達障害をめぐる言説変化

西田有香子名古屋大学大学院国際言語文化研究科国際多元文化専攻/大学院生

本研究では、発達障害を取り上げるNHKテレビ番組の言説変化を明らかにすることを目指す。1987年から2004年に放送された39本と2012年から2014年に放送された50本を比較し、言説変化/不変化を論じたいと考えている。その際、医療化(以前は病気/障害とみなされることが少なかった出来事が経年の中で病理的問題として理解され対処されるようになるという現象)とのかかわりに特に注目したい。アーカイブス利用により、発達障害という言葉が現在ほど社会的に認知されていなかった時期(1987-2004)の表象との比較が可能となる。発達障害に関するメディア言説の研究は限られる中、本研究は医療社会学およびマスコミュニケーション研究にとって新領域の事例研究としての意義があろう。また本研究を通して、多様な違いをもつ人々をいかに表象し、共生を目指すことが可能か理解を深めることができよう。

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2017年度第1回

放送博物館

日本人は未来をどう見てきたのか

田所昌幸(代表者)慶應義塾大学法学部政治学科/教授

今日の日本人は、グローバルな経済・社会指標から判断すると、世界の70億の人口の中で非常に恵まれたグループに属していると思われる。また過去70年以上の実績も、グローバルに見れば達成度が低いとは言いにくい。しかるに、日本の将来についての今日の知的雰囲気は閉塞感が強く、ほとんど悲観一色の言説には建設的な生命力に乏しい。これはなぜなのか。日本人の未来に対する過去の言説を振り返りつつ、未来についての適切な知的態度とは何かを検討するのが、この研究の目的である。

グローバルメディアを通して移動する日本語

マリィ クレア(代表者)University of Melbourne, Arts Faculty/Senior Lecturer

ことばは、人やメディアと共にグローバルに移動をする。本研究は、「言語とモビリティ」の観点から日本語メディアにおけることばの移動を分析する。グローバルメディアにおける日本語の移動に着目し、日本語話者のアイデンティティと深く関連する言語要素――つまり「若者ことば」「方言」「女性ことば・男性ことば」――がテレビ放送メディアを通して、どのように、音声から文字へ、日本語から他言語へ、国内から海外へと移動するのかを調査する。特に、日本のテレビの特徴とされるテロップに注目し、現代日本語のアイデンティティがいかにメディアを通して描かれていくのかを問う。日本のグローバルメディアとして大きな役割を担っているNHKのアーカイブコンテンツを分析することにより、そのような媒体における日本語のモビリティを明確にし、社会言語学研究に日本語からの視点を加えて行くことを目指す。

80年代小劇場演劇の再考 ~「観客」の視点から

柴田隆子(代表者)学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻/非常勤講師

1980年代の小劇場演劇は、「対抗文化」をめざした60年代に対し、若者文化と親和的な「サブカルチャー」に変容したと言われる。批評言説では否定的に語られることの多い80年代小劇場演劇だが、「小劇場ブーム」と言われるように当 時多くの若い観客が劇場に足を運んだのは確かである。本研究のねらいは、イデオロギーや「運動」あるいは単なる「娯楽」とは異なる次元で、「演劇」ないし「舞台芸術」を捉え直すことにある。観客は舞台に何をみていたのだろうか。若者文化により親和的であったのはテレビであり、小劇場の観客もテレビ文化の影響にあったことは 想像に難くない。NHKアーカイヴ利用で実際に番組を検証することで、受け手(視聴者と観客)の意識と「演劇」概念の形成と変容が明らかにできると考える。このことは「演劇」の枠を越え、文化論にも発展する視座をもちうるだろう。

Eテレが果たしてきたメディア・リテラシー機能 ―「さわやか3組」における時制表現の分析 ―

村野井均茨城大学教育学部学校教育教室/教授

日本では、時制表現を国語では中2、英語では過去形が中1、未来形が中2と教えている時期が遅い。しかし、児童は高学年になると「ワンピース」や「ドラゴンボール」など回想シーンや想像シーンのある番組を見ている。学校教育と子どものテレビ理解にはずれがあるのである。低学年向けの「アンパンマン」や「ポケモン」では、時制表現は現れない。村野井(2016)の研究では、低学年児童は時制の手がかりを利用できないことがわかっている。つまり、小学校中学年で、時制が理解できるようになると考えられるのである。
アニメ「サザエさん」は時制表現が多く、ワイプや2画面状態のフレームなど手がかりを安定的につけている。この番組は、児童に時制表現を教える役割を果たしているといえる。Eテレの小学校中学年向けにも時制表現が含まれており、映像の時制を教えてきた可能性がある。放送期間が長く、制作番組数の多い「さわやか3組」で、時制表現の種類や一貫性を調査し、Eテレの持つメディア・リテラシー機能を示したい。

幼児教育番組「おかあさんといっしょ」における、パラ言語・わざ言語の変遷及びこれからの幼児教育における教育ファシリテーション方法の可能性について

下郡啓夫(代表者)函館工業高等専門学校一般理数系/教授

保育の中でほとんど意識されずに使用されているパラ言語とわざ言語に着目し,幼児教育番組「おかあさんといっしょ」からそれらを抽出して類型化する。また,それらがどのような教育的文脈で発せられているのかとを紐づけながら,保育現場での効果的なパラ言語・わざ言語スキルを明らかにしていく。一方で,パラ言語,わざ言語の変化における時代的文化的背景を分析し,次世代で求められる今後の幼児教育における教育ファシリテーションの可能性を模索する。

ドキュメンタリー・報道番組における留学生問題と留学生像の変遷

林葉子公益財団法人パブリックヘルスリサーチセンター/研究員

「日本社会のグローバル化を目指した積極的な留学生受け入れ政策の下、日本に学ぶ留学生数は2008年の14万人から2016年には20万人と増加した。彼らの活動範囲は学内にとどまらず、我々は日常的にドラッグストア、コンビニエンスストアなどでも彼らの姿を目にする。しかし一般の日本人にとって留学生を詳しく知る機会はなく、報道による情報が大部分を占める。したがって報道は留学生への理解を深め、彼らを受け入れる社会の形成、視聴者自身の国際化を促す上で重要な存在といえる。また、留学生の悩みや訴えは彼らを取り巻く時代の変化の影響を受けるため、繰り返し留学生を取り上げ、視聴者に新しい留学生像を提供することも報道の重要な役割である。本研究では留学生をテーマとして放送された特集番組を分析し、放送当時の留学生像、留学生たちの抱える問題点などを、留学生を対象とした学術研究の結果との関係を検討することを目的とする。」

オーバーアマガウ「受難劇」に見る宗教多元主義の転換点の検討 ―「受難劇」はメディアにどう紹介されてきたか ―

森本真由美白百合女子大学大学院文学研究科発達心理学専攻/大学院生

1633年ペストが大流行し多数の死者が出た際,生き残った人々が村を救うため「キリストの苦難と死と復活の劇を演じる誓い」を立てたドイツ・オーバ-アマガウの村民は,1634年から10年ごとに「Passion Play」を演じ,今日までこの誓約を果たし続けている。本研究は,現在も村の人口の半分にあたる2500人が参加する受難劇が,どのようにメディアに紹介されてきたか,それによってオーバーアマガウのコミュニティはどのように変わってきたのか,また演劇を経験することについて,演劇の何がどのように演者に機能して,教育的意義を持つのかを検討する。過去,受難劇はユダヤ人への攻撃の土壌を生み出すことに寄与してきたとの批判もある。1990年から2000年,2010年とキリスト教とユダヤ教との対話の過程としての受難劇上演のプロセスを,宗教多元主義の発芽として,その様相を質的に分析する。

大阪放送局

テレビドラマ草創期における日本の情緒や文化の表現方法に関する基礎的研究

飯塚恵理人(代表者)椙山女学園大学文化情報学部文化情報学科/教授

テレビは、受信料を支払うだけであらゆる種類の娯楽番組をお茶の間で楽しむことができる画期的なメディアとして、戦後の日本社会に登場した。テレビ草創期は復興と東京オリンピック誘致活動の時期と重なる。日本という国が外からどのように見られるか意識する余裕が少しでき、またその必要にも駆られ始め、日本固有の文化や自然美の魅力が再発見され始めた時期でもある。一方、初期のテレビドラマは、特に映像メディアの先輩である映画から激しくライバル視され、疎まれたため、ラジオドラマや演劇の手を借りながら、新しい表現方法を模索する中で、芸術祭参加番組制作の時代を迎えていく。本研究では、テレビドラマという当時の新たな表現手段が、生放送という制作上の大きな制約を受ける中で、日本の情緒や文化、自然美についてどのような場面設定として表し、どのような音響やせりふをつけたのかなどについて、アーカイブス映像と放送台本から検証したい。

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2017年度第2回

放送博物館

時代によってカット率は変化するのか:NHKアーカイブスを用いた1980年から2010年までの同一番組のカット率の検討

青山征彦成城大学社会イノベーション学部/教授

映像編集の基礎であるカットは、映像認知研究においても、もっとも重要な研究テーマの一つである。しかし、カットが実際にどれくらい映像に含まれているのか(=カット率)という基礎的なデータは、ほとんど蓄積されていない。数少ない知見として、山本(1993)は、さまざまなテレビ番組の分析から、カット率が番組のジャンルによって大きく異なることを報告している。また、森田(1999)も、NHKの子ども番組について、カット率を報告している。一方、稲増(2008)は、テレビドラマ『白い巨塔』の1979年版と2004年版では、同じシーンの3分あたりのカット数が23から83へと大幅に増加していることを指摘している。このように、時代によってカット率は変化している可能性が高いが、このことを系統的にデータとして示した研究はない。本申請では、NHKアーカイブズを用いて、カット率の時代による変化を検討したい。

公共放送のドキュメンタリー番組に関する研究
-NHKの中国をテーマするキュメンタリー番組を中心-

賈曦(ジャシ)(代表者)東京国際大学言語コミュニケーション学部/客員講師

過去を発見するための貴重な記憶装置として、社会の人々の思想をより理解するためのドキュメンタリーは大きな社会的な役割があると考えられる。情報伝達だけではなく、長期的取材によって、問題提起とテーマを掘り下げることが同時にできるという特徴もある。ドキュメンタリーを読み解くことは、歴史の還元、社会問題の提示、各国の歴史、文化、社会を理解ことにつながるといえる。
本研究は、ドキュメンタリー番組における「テーマ研究」(中国をテーマするテレビドキュメンタリー)を通じて、マクロの視点から、NHKが制作したドキュメンタリー番組の内容及び伝え方の変化、またそれと日中関係、中国のイメージ、世論との関連性を検証し、公共放送局としての社会的役割を明らかにしたい。

占領期ラジオ番組「街頭録音」と「社会探訪」の談話分析
―ドキュメンタリーにおける女性の語りの変化に着目して―

太田奈名子東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士後期課程/大学院生

本研究の目的は、メディアの談話を言語学的観点から考察することが如何に既存の日本占領期研究に無い視座をもたらせるか、という可能性を探ることにある。具体的には、NHKアーカイブにのみ所蔵されている、GHQ占領政策の一環として始まったラジオドキュメンタリー番組で女性が取り上げられる回を分析対象とする。談話を社会的・歴史的背景を踏まえた上で精緻に読み解くことにより、彼女らの語りの変化が、戦後社会という大きなコンテクストにおける変化とどのように呼応するかを考察する。先行研究では、占領期を生きた女性とメディアの関係が戦後民主主義の文脈で議論されることはあったが、ラジオ番組の内容にまで踏み込み、メデ ィア媒体でどのように女性の生き方が捉えられたか、また彼女らの何が伝えられたかを考察をする研究は少ない。よって本研究では、メディアという枠組みで切り取られた女性の語りがどう変化したか、つまり「当事者による事実の受容の変化」に着目し、占領下日本社会の世相を「占領された側」の視点を取り入れて再考したい。

産業廃棄物報道の歴史における豊島産業廃棄物不法投棄事件の位置づけと特性

馬渡玲欧東京大学大学院人文社会系研究科社会学研究室/大学院生

申請者はこれまで香川県豊島の産業廃棄物不法投棄事件(豊島事件)に関心を寄せフィールド調査を実施してきた。同島は近年、アートの島だけでなく環境教育の場としても位置づけられる。本研究は産廃問題に関する映像資料を用いながら、上記事例を広い都市公害・環境報道の歴史に位置づけることを目指す。豊島事件に関するルポタージュは、住民と行政間の公害調停成立をめぐる弁護団・住民の運動を中心に残されている。加えてNHKの報道・ドキュメンタリーも豊島事件を繰り返し取り上げてきた。他方でNHKは豊島以外の産廃問題も数多く記録している。本研究は豊島事件における当事者に近い立場からの記録に敬意を払いつつも、特に1970年代以降蓄積されてきた日本の産廃問題に関する番組全体の中で、豊島事件が各事例と比べていかなる共通点と相違点を有するのかを検討したい。

NHKアーカイブスからみた旧産炭地の状況と変遷-福岡県大牟田市を事例に-

小田美季日本社会事業大学社会福祉学部福祉援助学科/教授

本研究では、大牟田の地域研究の前提となる地域分析の一つとして、NHKが、大牟田をどのように描いてきたかに着目する。言い換えると、本研究の目的は、NHKアーカイブス(ドキュメンタリ-や福祉番組)の分析を通じて、大牟田という地域の歴史と三池炭鉱の歴史の交わりを踏まえ、そこから今後のまちづくりへの示唆を得ていくことにある。本研究の意義は、公共放送という第3者であるNHKが旧産炭地である大牟田について放映した内容の分析により地域の表象が変遷してきていることの明確化にある。これは、旧産炭地、あるいは地方にとって、包摂的でレジリエント(強靭)で持続可能な居住を考える示唆へとつながるものといえる。

NHKテレビドキュメンタリーが描いた貧困‐子ども、老人、女性の貧困を中心にー

李旼冑(イ・ミンジュ)東京大学多文化共生・統合人文学プログラム/特任研究員

本研究者はトライアル研究Ⅱ第2期に「テレビが描いた貧困の表象とその意味構造 ― NHK報道・ドキュメンタリー番組を中心に」という研究を行った。そこでは主に労働・雇用と貧困の関係に焦点をあて、日雇い労働者の町である東京山谷やホームレス、2000年代後半のワーキングプアや非正規雇用を取り上げたドキュメンタリー番組を分析し、その結果を国内外の学会で発表した同時に博士論文の一部として出版する予定である。しかしながら、当時定めていた分析対象時期(2011年3月まで)以降にも貧困に関する様々な番組が作られ、特に女性や子供、老人の貧困に注目して社会的議論を深めた番組が続々と放送されたのである。したがって今回の研究では、前回の分析対象期間以降に放送された報道・ドキュメンタリー番組が貧困をいかに描いてきたかを分析しつつ、そこから見いだせるを観点を持って前回に分析した番組の一部を読み直すことを試みる。

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大阪放送局

中途視覚障害者の職場復帰を可能にする「リハビリテーション権」の必要性について

辰巳佳寿恵大阪体育大学健康福祉学部健康福祉学科/准教授

近年は視覚障害者のためのコンピューターソフトの進歩によって、事務職であれば中途失明した場合でも、もとの仕事への復帰が可能である。しかしこうした現実の認識は浸透しておらず、解雇されるケースが多い。応募者は裁判で解雇無効を争った中途失明者の事例に密着して取材を継続したが、提訴から和解まで約3年という年月を要した。今回、特に取材対象としている番組は「もう一度仕事がしたい」及び「シリーズ 働く」等であるが、番組の概要説明からは職場との話し合いに4年を要したことがわかる。この年月はあまりにも長く、当事者にかかる心理的・経済的負担も大きい。そこで応募者は番組の分析を通して改正障害者雇用促進法に、使用者や労働者の義務や権利を具体的に明確化し、休職期間を利用したリハビリテーション権」を位置付けることによって、障害者権利条約第7条の合理的配慮を具現化する中途失明者の働く権利を保障することを提案する。

NHKインタビュー番組中の談話に見られるフィラーのはたらきをもつ接続詞について
~その発生の経緯、種類、機能、表現効果から戦後の日本語談話の変遷を考える~

百瀬みのり大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻/大学院生

本研究は、接続詞のフィラー機能について考察するものである。日本語の接続詞は、語、句、文などの関係付けに加え、フィラーとしての機能も有する。フィラーとは、談話中の語や文節の切れ目にはさみこまれることばを指す。感動詞や指示詞のフィラー(「えー」や「あの」など)とは異なり、接続詞のフィラー(「で」など)は、談話の結束性や一貫性を示すことにより談話構成に寄与する機能をもつという特質がある。しかし、接続詞のフィラー機能については詳しい研究が未だなく、日本語の文法書やテキストもこの点については殆どふれていない。そこで、接続詞のフィラー機能の考察を本研究の目的とする。これは、接続詞の先行研究を補完するものである。また談話中の接続詞について、安定した量の用例の供給と経年的な変化を通時的に観察する目的に、アーカイブ資料は有益かつ適切であると考える。以上より申請を行うものである。

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2017年度第3回公募結果

放送博物館

テレビは日本語教育をどのように描いてきたか
―NHKアーカイブスにみる日本語教育の社会的位置づけの変遷―

古賀万紀子(代表者)早稲田大学大学院日本語教育研究科/助手

日本語教育の内容や方法の変遷に関しては、すでにいくつかの研究がある。一方で、日本語教育の表象の変遷に関する研究はほとんどない。そこで、本研究では、過去にNHKで放映された番組において、日本語を母語としない人を対象とする日本語教育がどのように描かれてきたかを分析する。そのうえで、日本社会において日本語教育がどのように位置づけられてきたかを明らかにする。明らかになった日本語教育の社会的位置づけの変遷は、今後の日本語教育のあり方を考える資料となり得る。テレビ番組の制作のようにある事象を映像化する際には、必然的に事象の一側面が切り取られることになる。切り取られた一側面は、放映時における番組制作者、および視聴者がイメージする日本語教育を表象していると推測される。ゆえに、NHKアーカイブスの利用は、日本語教育の社会的位置づけを記述する資料を得る手段として有効である。

日本人は司法に何を求めてきたか~司法は日本人にとっての理想の社会を創り上げることができるのか~
日本人の正義・来日外国人の正義

小林裕子明海大学外国語学部英米語学科/教授

2017年は法務省により法テラスが設置されてからちょうど10年でした。また 2017年は刑事訴訟法が改正され、司法通訳人運用が確保されることとなりました。しかしながら司法通訳人に対する資格制度などは確立されておらず、司法通訳人制度の先進国である米国などからは大きく遅れをとっています。また、来日外国人による刑事事件が増加する傾向にある中、根本的な対策はとられないまま法律知識が充分ではない司法通訳人さえいる(法曹界からの指摘が数多くあり、裁判例もある)状況が長年継続しています。今回の研究は日本の司法制度の根幹的な特色を検討することが目的です。我が国独特の司法理念が裁判にどのような影響をあたえてきたか、裁判官や検察官の意識にどのような正義感が存在しているのかを、独特の法文化と平等意識とコミュニティー意識を持つ日本の裁判記録を紐解き分析し、司法通訳人への法学教育に生かしたいと考えています。

『バリバラ』が提起する笑いの意味―番組における障害者表象の通時的変遷に注目して―

塙幸枝国際基督教大学大学院博士後期課程アーツ・サイエンス研究科/大学院生

2012年から放送されている『バリバラ』では、従来的な障害者ステレオタイプを瓦解させるような様々な試みが提示されてきた。本研究では『バリバラ』の番組分析を中心に、そこでの障害者表象がいかなるものなのか、またそれらの表象にとって「バラエティ番組」という形式や笑い」という要素がいかに機能しているのかを考察する。とくに『バリバラ』におけるそれらの趣向が、前身番組である『きらっといきる』への批判と対峙することから生まれたものであることを踏まえるのであれば、これらの移行期に放送された番組内容を分析することが必須であり、そのような通時的な番組変遷の考察にはアーカイブスのデータ活用が不可欠である。

NHK朝の連続テレビ小説における男性像の変遷―男性役割の9側面を用いた分析―

渡邊寛(代表者)筑波大学大学院人間総合科学研究科心理学専攻/大学院生

朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は、約60年間続く、ドラマ番組である。この60年の間で、日本の社会状況は大きく変わった。例えば、性別役割分業を否定する者が増加したり、晩婚化、出生率の低下、離婚率の上昇などで、伝統的な生活スタイル以外を選択する者も増えている。こうした中で、朝ドラは主に女性を主人公として制作され、その点に関する評論や分析は存在する。一方で、女性を取り巻く男性の描かれ方やその変化は分析されてこなかった。
申請者は、男性が求められる役割(以下、男性役割)が、伝統的な男性役割の5側面と新しい男性役割の4側面から成ることを提唱しており、これらの側面が、60年間の中でどう描写され、変容してきたかを検討することは、日本人のイメージする男性像やそれがもつメッセージ性を改めて整理でき有意義である。そこで、本研究では、申請者の男性役割のモデルを用いて、朝ドラに描かれる男性に関して、内容分析を行う。

初期テレビ人形劇の実験性とその起源―戦後舞台人形劇からの影響を中心に―

菊地浩平早稲田大学文学学術院/非常勤講師

本研究は、初期テレビ人形劇が有していた実験性について、戦後舞台人形劇からの影響を検討しつつ、その同時代/今日的意義を明らかにすることを目指す。初期テレビを支える重要コンテンツのひとつが人形劇だったわけだが、表層的には大衆/子ども向けでありながら、脚本を子細に検討すると極めて実験的な作品が多い。その原因のひとつは、番組制作において中心的な役割を果たした舞台人形劇出身者たちにある。実は戦前から戦後にかけて、舞台人形劇は人形ならではの過激表現と不可分であった。よって当時のテレビ人形劇の隠れた実験性も、舞台人形劇出身者からもたらされていた。そこで本研究では、初期テレビ人形劇の実験性を戦後舞台人形劇からの影響を踏まえて検討する。初期テレビ人形劇は資料も少なくこれまであまり学術研究の対象となってこなかったことから、NHKアーカイブスを利用し本計画を遂行することで重要な成果を上げたい。

戦後ドキュメンタリー番組を資料とした旧満洲国経験者の意識構造に関する研究

甲賀真広首都大学東京大学院人文科学研究科人間科学専攻日本語教育学教室/大学院生

本研究のテーマである「旧満洲国」は1932年に中国東北部で建国され、1945年まで14年間存在していた国家である。当時の旧満洲国は多民族による多言語社会が形成されていた。住民たちはその多言語社会に対してどう考えていたのか、内地に対する意識はどのようなものであったか、異なる民族間のコミュニケーションはどのように行なわれていたのか、コードスイッチング、混合言語が存在したのかなど意識構造や、当時の話し言葉の全体像を明らかにすることを目的とする。これまでの研究ではこうした言語に関する調査を聞き取り調査やインタビュー調査から分析しているものは少ない。旧満洲国経験者に聞き取り調査を行なえる時間が限られている中、テレビ番組によるインタビューデータを用いて分析を行なうことは、価値のある有意義な研究となることを確信している。

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大阪放送局

アイヌ文化の普及啓発におけるメディアの役割変容に関する調査

大橋美幸函館大学商学部商学科/准教授

多くの人がアイヌ文化にふれる機会は、これまでから間接的なものに限られており、博物館、小中学校の授業や課外学習、テレビのドキュメンタリー番組、工芸品等であった。観光もあるが「観光アイヌ」と呼ばれ、誤ったイメージを助長しているという批判がされてきた。加えて、アイヌ文化の生活様式はすでに日常的に見られなくなっており、現在につながるアイヌ文化をいかに紹介し続けていくかが課題となっている 。この中でフィクションとしてアイヌ文化を取り扱う映画や漫画等があり、アイヌ模様等はおしゃれなデザインとして評価されている。このような最近のアイヌ文化の利用とリンクさせながら、ブランドストーリー(背景となる哲学や歴史)としてアイヌ文化を守っていく方法が考えられる。今回、学術利用トライアルを利用して 、テレビにおけるアイヌ文化の取り上げ方の変化を追い、他の意識調査の結果と合わせて、これらを検証したい。

テレビにおける団地イメージの構築-1960年代を中心に-

今井瞳良京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程/大学院生

本研究は1960年代のNHKにおいて団地がどのように描かれていたのか明らかにすることを目的とする。NHKは、ドラマ『大市民』のように団地を舞台とするフィクションを製作するとともに、団地を通して高度経済成長の裏側で起こりつつある問題を描き出すドキュメンタリーを数多く製作している。1960年代の人々の平凡な生活として団地を舞台にする一方で、団地を問題化する番組を製作していたのだ。戦後の住宅不足を背景に設置された日本住宅公団によって展開された団地は、これまで雑誌や新聞など様々なメディアで憧れの存在として描かれてきたと論じられてきた。これは戦後復興から高度経済成長へという歴史の語りに沿ったイメージの語りであったと考えられる。その中で、フィクションとドキュメンタリーの両方で団地を取り扱うNHKを分析し、両義性を孕む団地イメージがどのように構築されていったのか明らかにする。

発達障害児・者をめぐる啓発や教育の視点
―発達障害のとらえの変遷とメディアの関わりに着目する―

山下敦子神戸常盤大学教育学部こども教育学科/准教授

発達障害についてはその名称、定義、支援のあり方などが短い期間で変遷している。
発達障害をもつ児童・生徒にとって自己の障害の受容、周囲の理解、教育現場や生活場面での支援は「自分らしく生きる」上で不可欠なものである。特に、障害の受容や周囲の理解についてはメディアによる啓発の影響が大きい。NHKアーカイブスの資料は、そうした観点を経年で比較できる利点がある。1999年から2017年の報道やドキュメンタリーについてどのような視点で報道しているのか、発達障害児自身へのメッセージ性、周囲の理解についての観点、について分析を行う。その分析をもとに、発達障害をもつ児童・生徒や保護者、学校関係者にとってより効果的な情報発信のあり方を考えることができる。

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