アカイさんノート: 2009/05/22

ジェスチャー

司会の水の江滝子と柳家金語楼

 『ジェスチャー』は、テレビ放送が始まった1953(昭和28)年2月にスタート。以来、1968(昭和43)年まで15年にわたり放送され、絶大な人気を集めたテレビクイズ番組の草分け。
 紙で文章に書かれた問題を、身ぶり手ぶりと表情だけで表現し、男性チーム・女性チームに分かれて答えを当てるというものだった。

15年不動!両軍キャプテンの名コンビ

 テレビ放送が始まる前、NHK技術研究所の仮スタジオで『ジェスチャー』のリハーサルは行われていた。当時、お茶の間での娯楽は、ラジオの音声が主流だったため、動作や表情の面白さを満喫できるテレビの特性を、明快な方法で示す方法はないかと開発されたのが『ジェスチャー』だった。

 特に、男性チーム・柳家金語楼、女性チーム・水の江滝子の両キャプテンの息の合ったコンビが番組の人気のもとになっていた。番組の企画段階で、番組スタッフは柳家金語楼に、出演者の人選について相談を持ちかけていたのだが、その時に金語楼がイの一番に推薦したのが、戦前に松竹少女歌劇で「男装の麗人」として一世を風靡した水の江であった。両キャプテンは放送開始から、最終回まで15年間変わらずに続く名コンビだった。

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週に1000通!視聴者からの珍問に出演者悶絶

 『ジャスチャ―』の問題は、視聴者から寄せられたもので、番組の人気が上がるにつれて、出演者をこれでもかと悩ませる珍問が、週に1000通以上寄せられた。

 「満員電車の乗客をはぎとろうとしたら、強そうな男なのであわてて押しこんでいるアルバイト学生」
 「酔って帰ったら、奥さんがやさしいので、外へ出て表札とにらめっこしている男」
 「ダンナさんをノシたら、ノシイカになったので、あわてて水をかけてふくらませている、イカの奥さん」

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出題の際に視聴者に内容を紹介する漫画も人気を博していたが、この絵はNHK美術部のスタッフが、本番当日の問題決定後に作画に取り掛かっており、2時間程度で、当日の出題分を大急ぎで描き上げていたという。

 

多彩な出演者の意外な一面も魅力

 出演者は、キャプテンのほかに、俳優、歌手などに限らず、画家、評論家、スポーツ選手など幅広く出演した。名俳優が必ずしもジェスチャーがうまいとも限らず、逆に無口な画家が思いもがけない表情や動作をしてしまうなど、意外な一面を見られるところも、大きな魅力であった。


テレビ創世期は出演者もスタッフも苦労の連続

 放送開始当時は出演者、スタッフともに苦労が多かった。水の江滝子はグラフNHKのインタビューで当時を振り返り「とにかく照明がまぶしく、スタジオが暑かった」と語っている。また、制作スタッフは「テレビカメラも、いまと違って容易には動かすことができなかったので、この人はこういう動きをするだろうといった予測をしてカメラ位置を指示していた」と語っている。ハンディカメラが縦横に駆け巡り、すべてが機械化されている現在と隔世の感がある。

 15年にわたってお茶の間に親しまれた国民的クイズ番組『ジェスチャー』。実は、1953(昭和28)年2月のスタート当初は『家族ゲーム ゼスチャアー』というタイトルで、月1回の放送だった。それが、半年後の7月から毎週の放送となり、翌年には『ジェスチャー』と改題されている。

 なお、『ジェスチャー』はテレビクイズ番組の草分けとして有名だが、テレビ本放送におけるクイズ番組第1号は、別の番組なのはご存知だろうか。
 『家族ゲーム ゼスチャアー』がスタートする15日前、NHKのテレビ放送が始まって5日目の2月5日夜7時30分から放送された『私の仕事はなんでしょう』が、日本のテレビクイズ番組第1号なのだ。市川達雄アナウンサーの司会で、内海突破、柴田早苗、木々高太郎、石田アヤのみなさんが出演していた。

ジェスチャー
◇放送期間:1953(昭和28)年2月20日~1968(昭和43)年3月25日
◇放送時間:総合テレビ  金曜 20:00~20:30(放送開始~1954年5月)
                月曜 20:00~20:30(1954年前期)
                金曜 19:15~19:45(1954年後期)
                月曜 19:30~20:00(1955~1956年度)
                火曜 19:30~19:59(1957~1964年度)
                火曜 20:00~20:30(1965~1966年度)
                月曜 20:00~20:30(1967年度)

◇出演 男性チームキャプテン 柳家金語楼
      女性チームキャプテン 水の江滝子

◇司会 青木一雄アナウンサー(放送開始~1954年度)
      高橋圭三アナウンサー(1954年度)
      佐々木敏全アナウンサー(1955年度)
      小川宏アナウンサー(1955~64年度)
      鈴木正和アナウンサー(1965~66年度)
      原善三郎アナウンサー(1966~67年度)


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みなさんからの投稿

  • 朝ドラ「梅ちゃん先生」で、みんなで「みかみ食堂」でジェスチャー見てましたね。
    その前日のあたりの放送では、「置いといて」のクダリもあって、面白かったです。
    梅ちゃん先生、今は昭和31年の設定だから、この日は月曜日だったんですね、上の放送時間を見ると。
    私が見てたのはそのあとの放送時間が火曜日ので、ジェスチャー⇒お笑い三人組⇒事件記者のころ。
    さすがに昭和31年の映像は残ってないから、梅ちゃん先生で流れてたジェスチャーは、上の文で紹介されてる昭和36年3月のでしたね、仕方ないっちゃ~仕方ないけど。
    フランキーさんや長門さんなど、日活スター総動員(ってほどじゃないけど)っていうのは、やっぱり水の江さんが日活のプロデューサーさんだったから、そのツテだったのかなぁ~。
    でも当時のスターさん、しかも映画スターの方々が出られてるっていうのは、今だと嵐の番組なんかでいろいろなタレントさんが体を張ったゲームしたりするのが高視聴率取ってるのと同じくらい、いやもっと凄かったんでしょ。
    国民の大多数が熱狂してたんだよねぇ~。
    体張ってる系だったら「フレンドパーク」(終わっちゃったけど)、頭使ってる系だったら「Qさま」とか、タレントさん(スターさん?)が自分の分野以外で自分を見せる番組のルーツだったんだなぁ~、ジェスチャーは。
    あらためて、スゴイ番組だったんだなぁ~って思いました。

    更紗|投稿日2012年08月18日 08:42

  • 確かに「ジェスチャー」はバラエティーの草分け的な番組でした。
    毎週必ず「岐阜県美濃加茂市にお住まいの千石三太さん」からの出題があり、この人は通算2千通も投稿したそうで、千石三太さんこそTVフェチの元祖であると思っています。既に「化石的存在」ですが、この人の事を知りたく思います。誰か教えて下さい。

    Kleiber|投稿日2009年12月03日 14:47

  • 水の江滝子さんは「ターキーさん」ってみんなから呼ばれてて、で、その「ターキーさん」は金語楼さんのことを「おにいさまっ!」って呼んでたなぁ~。
    女性を表現する時は、両手(指)を動かしてパーマ(ウェーブ)がかかった髪型に見立て、男性を表現する時は首に両手をあてて右手をお腹の方に移動して“ネクタイ”を締めているっていう仕草をしてましたね、、って、“ジェスチャー”を説明するって結構タイヘン!!(笑)。
    あと、状況を少し変えるとき、「今やってるジェスチャー」の内容と違う流れにしたいときは、「(今までのジェスチャーは“ひとまず”)置いといて~」っ、両手で箱を持ってそれを横に移動する(置く)仕草をしてましたね。
    懐かしい~っ!!

    更紗|投稿日2009年05月25日 13:41

  • 幼い頃だったのでおぼろげな記憶しか残っていません。しかし「ジェスチャー」の言葉や「金語楼さん」の真似をしていたのは覚えています。

    omame|投稿日2009年05月23日 07:36