アカイさんノート: 2008/12/19

『NHK紅白歌合戦』 誕生物語

 2009年には60回目の節目を迎える『NHK紅白歌合戦』。テレビ放送開始前、ラジオ時代から続く長寿番組は、どのように生まれたのか? なぜ、大みそかに放送するようになったのか?
 今回は、"国民的番組"『紅白』の誕生物語をひも解いてみよう。

ラジオの正月番組として生まれた『紅白』

 いまでは、大みそかの恒例行事も、第1回から第3回まではラジオの正月番組だった。
 記念すべき第1回『紅白』が放送されたのは、1951(昭和26)年1月3日(水)。東京・内幸町のNHK東京放送会館(1973年までに渋谷に移転前のNHK本部)第1スタジオからの生放送だった。大きなホールで大勢の観客が声援を送るというスタイルではなかったのだ。
 

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第2回『紅白』 左から丹下キヨ子(司会)、暁テル子、久保幸江 
 
 放送時間も20:00~21:00のわずか1時間。出場歌手も紅白それぞれ7組だけだった。当初は正月の単発番組であり、その後半世紀以上も続く番組になるとは、誰も想像していなかっただろう。
 歴史的番組のトップバッターは、菅原都々子の「憧れの住む町」。藤山一郎、東海林太郎らも登場した。司会は、紅組が加藤道子(NHK東京放送劇団1期生で、後に声優の草分けとして活躍)。白組がNHKアナウンサーの藤倉修一だった。

 

第1回から真剣勝負

 規模は小さいものの、"合戦"は第1回から大いに盛り上がった。
 正月の特集番組だから、当初はのどかな"おとそ番組"かと思われたが、紅組・白組の歌手たちは真剣に対立して歌い、出演者同士が互いにやじり合ったり、声援を送ったりしたのだ。
 

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第3回『紅白』  舞台には「謹賀新年」の看板  手前のテレビカメラはテレビ実験放送用
 

 第1スタジオには、一般の聴取者を男女50人ずつ招き、その中から男女2人に勝敗の判定に加わってもらい、審査委員長には音楽評論家の吉本明光があたった。
 熱唱とともに応援電話が殺到し、放送会館の電話交換台のヒューズが飛んでしまったというエピソードも残っている。
 ちなみに、ラジオ正月特番時代の第1回から第3回は、すべて白組が勝利している。

 

テレビの初回 正月の劇場確保ができず大みそかに

 1953(昭和28)年2月1日、テレビの本放送がスタート。『紅白』も、年々人気が上昇し、観覧希望者も増えたために、ラジオ・テレビ同時放送の初回となる第4回からは、NHKのスタジオを飛び出し劇場公開で行うことになった。しかしこの企画、すぐに壁にぶつかった。大きな劇場はどこも正月公演などでふさがり、確保ができなかったのだ。
 

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第4回『紅白』(テレビ初回) 大みそかの日劇で公開放送

 
 やむなく番組スタッフは、たまたま大みそかが空いていた日劇を借りることになった。今では当たり前の「1年を締めくくる大みそかに『紅白』」というのは、こうしてひょうたんから駒で決まった。
 この結果、テレビ放送開始の1953(昭和28)年は、1年の間に2回、第3回(1月2日)と第4回(12月31日)の『紅白』が放送された。
 正月よりは人気歌手を確保しやすくなったものの、はたして大みそかの夜に観客が来てくれるのか、スタッフは皆不安だったという。しかも当日、東京は雪。ところが、日劇の周囲には開場を待つ人で長蛇の列ができた。

 

テレビ『紅白』初回は紅組が衣装で(?)勝利!

 出場歌手は紅白それぞれ17組。司会は紅組が女優の水の江滝子(ジェスチャーのキャプテンとしても人気だった)、白組がアナウンサーの高橋圭三(第4回から9回連続の司会)。
 この第4回から入場行進、選手宣誓、優勝旗授与など、その後も続く基本的な演出が取り入れられた。そして、特に女性歌手の面々はテレビ放送を意識してきらびやかな衣装で登場、画面を大いに盛り上げた。
 この年、紅組は4回目の挑戦で初めて勝利。白組歌手は口を揃えてこう話したという。
 「テレビは怖い。今回は衣装に負けた」


 『紅白』が恒例の番組として意識され始めたのは、回数を明記するようになった第4回放送(1953年大みそかのテレビ初回)からと言われている。つまり、それまでは、あくまで単発の企画だったわけだ。

 この第4回以降、2007年までの出場歌手一覧は、アカイさん資料室(このページの右側・ブースのミニテストの下)の、毎年の番組時刻表の横に掲載されているので、あなたの思い出の回を調べてみてほしい。

 また、アーカイブス・カフェでは、1963年に史上最高視聴率81.4%を記録した時のチーフ・プロデューサーだった川口幹夫氏や、1974年から9回連続白組司会を務めた山川静夫アナウンサーらが『紅白』半世紀の舞台裏を語った座談会を掲載している。こちらもぜひ、ご覧いただきたい。

『第1回NHK紅白歌合戦』

◇放送日   1951(昭和26)年1月3日(水)
◇放送時間  ラジオ第1 20:00~21:00
◇出場者と歌
        紅組(司会:加藤道子)
         赤坂小梅  「三池炭鉱節」
         暁テル子  「リオのポポ売り」
         菊池章子  「母紅梅の唄」
         菅原都々子 「憧れの住む町」
         二葉あき子 「星のためいき」
         松島詩子  「上海の花売娘」
         渡辺はま子 「桑港のチャイナタウン」

        白組(司会:藤倉修一)
         近江俊郎  「湯の町エレジー」
         楠木繁夫  「紅い燃ゆる地平線」
         東海林太郎 「赤城かりがね」
         鈴木正夫  「常盤炭鉱節」
         鶴田六郎  「湊の恋唄」
         林伊佐緒  「銀座夜曲」
         藤山一郎  「長崎の鐘」


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みなさんからの投稿

  • 毎年大晦日になると紅白歌合戦が行われる。出場歌手の決定は毎年11月下旬頃だ。ヒット曲のある人は出るんだけど、無い人は紅白を卒業しなければならない。僕は毎年紅白を見たんだけど、歌手のマンネリ化に伴い、人気が衰えてくると出場する歌手はどんどん変わるからだ。知ってる歌手が出なくなると紅白はつまらなくなってしまう。人は亡くなれば新しく変わるからだ。落選すれば出る歌手が変わるからだ。

    タクロウ|投稿日2009年11月23日 20:23

  • >更紗さん
    投稿ありがとうございます。
    現在、『紅白』第1回放送についてはいろいろと調べていますが、まだ確定情報がつかめていません。
    当時の番組確定表(NHKの公式編成記録)は出場歌手名の記載のみ。今回ノートに掲載した情報は、NHKの放送史をまとめた公式資料をもとにしましたが、さらにその元データをだどるのが困難な状況です。なにぶん60年近く前のことなので・・・。
    いずれにしても、さらに調査を進めて、この場でご報告しますね。

    アカイさん|投稿日2008年12月27日 03:26

  • 昭和50年のグラフNHK「特集臨時増刊紅白歌合戦」を眺めてたら、また気になる記事、本当にちょっとした記事なんだけど、見つけてしまったので投稿します。
    巻末に「紅白変遷略史」が書かれていて、第一回のところに『歴史的?〈紅白〉のトップは、若手の近江俊郎「湯の町エレジー」。・・』だそうなんです。
    いろいろな資料で情報がグダグダ(笑)になってるみたいなので、ここはアカイさんのチカラで、きちんと資料を整理した方がいいと思いましたので、失礼と思いつつ、しつこいなぁ~と思いつつ書きました。紅白も歴史的になってきたと思うので・・。

    更紗|投稿日2008年12月24日 12:08

  • 手許に昭和59年発行の「ドキュメンタリー紅白歌合戦 あの時あの歌」(日本放送協会出版)という本がありまして、紅白歌合戦以前、昭和20年の大晦日に放送された「紅白音楽試合」などの話も出ているんですが、とりあえず第一回の曲目も掲載されていて、気になったので投稿しますね。
    今回紹介された曲目は新聞で予想されたもので、実際歌われたのは何曲か違ってたそうです。
    ・赤坂小梅さんは「浅間の煙」
    ・暁テル子さんは「ミネソタの卵売り」
    ・二葉あき子さんは「フランチェスカの鐘」
    ・東海林太郎さんは「国境の町」
    ・楠木繁夫さんは「紫匂う地平線」
    ・林伊佐緒さんは「ダンスパーティーの夜」
    、、、って書かれてました。
    「紅白」の生みの親の近藤積ディレクターがご存命のころの本なので正確だと思いますので、ちょっと確かめた方がいいのではないかと思いまして・・・。

    更紗|投稿日2008年12月19日 16:06