アカイさんノート: 2008/08/29

『私の秘密』(1)

 『私の秘密』は、日本全国、さらに時には海外から、ある体験や特別な才能などの"秘密"を持った人が登場し、解答者がその秘密を当てる公開バラエティー。1955(昭和30)年から12年間続いた長寿番組として人気だった。テレビ創生期のバラエティーの原点を2回にわけてご紹介しよう。

  まさに"小説より奇なり"

 1955(昭和30)年、神武景気に沸く日本に電化ブームが起こり、テレビが飛躍的に普及した。映像があるという、ラジオと大きく変わった表現に人々は熱狂し、多くのテレビ番組が誕生する。
 そのひとつが『私の秘密』。当時、アメリカで人気だった『MY SECRET』の日本版で、登場する人物の秘密をレギュラー陣が当てるという番組 だった。
 初代司会に起用されたのは、当時NHKのアナウンサーだった高橋圭三。高橋は、「どーも、どーも」という挨拶が口癖で、後にこのモノマネでも人気となる。

 番組冒頭、高橋は詩人のバイロンの言葉からとった決め台詞で挨拶した。
 「事実は小説より奇なりと申しまして、世の中にはいろいろと変わっためずらしい、貴重な経験をお持ちのかたが多いものでございます」

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 時代を反映した秘密の数々

 番組は、4つの"秘密"が登場し、番組後半は、ゲストなどの感動の「ご対面」が行われた。
 番組がスタートしたのは、終戦からまだ10年。登場する"秘密"も、時代を色濃く反映していた。

「私は日露戦争・旅順攻略戦後の水師営の会見で、乃木大将とステッセル将軍の通訳をしました」(1950年)
「私の姓名は、東西南北です」(1959年)
「私たち2人は、グアム島のジャングルに16年間隠れていた元日本兵です」(1962年)

 さらに、「私たちは漫画『鉄腕アトム』のアトム、ウランと同じ名前です」という秘密で、俳優の下條アトムが少年時代、ウランという名の女の子の友だちと一緒に出演している。

 『私の秘密』は、当時日本で流行した感染症の撲滅にも一役買っている。
 これは、ポリオ(急性灰白髄炎)という、発熱や頭痛、急性まひ症状を起こすウイルスによる感染症で、1960(昭和35)年の大流行では、 全国で5606人の患者が発生し、317人が亡くなっている。
 対策として、即効性がある経口生ワクチンの普及が図られたが、1961年7月17日放送の『私の秘密』では、ソ連製の生ワクチンを運んできたスカンジナビア航空の機長が出演。「私は、ポリオの生ワクチンを運んできた」という秘密を当てさせた。正解が出ると、高橋圭三アナウンサ ーは、机の下から生ワクチンを出し、自ら飲んで見せるパフォーマンスを行った。
 こうした努力の積み重ねもあって、ポリオワクチンは普及し、日本では1980年を最後に、自然感染によるポリオ発生の報告はない。
 これも、『私の秘密』放送当時の時代を映したエピソードと言えるだろう。


◇放送期間:1955(昭和30)年4月14日~1967(昭和42)年3月27日
        全601回放送
◇放送時間:1955年度 総合テレビ 木曜 20:00~20:30
               (※第1回のみ20:30~21:00)
        1956~63年度 総合テレビ 月曜 19:30~20:00
        1964~66年度 総合テレビ 月曜 20:00~20:30
◇司   会:高橋圭三(初代/1955~61年3月)
        八木治郎(2代目/1961年4月~65年10月)
        長谷川肇(3代目/1965年11月~67年3月)
◇初年度のレギュラー解答者:
        渡辺紳一郎(元朝日新聞記者、ラジオ『話の泉』解答者)
        藤浦洸(詩人、ラジオ『話の泉』解答者)
        藤原あき(資生堂美容部長)


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みなさんからの投稿

  • ”ポンちゃん”様のお問い合わせですが、「NHK想い出倶楽部 ~昭和30年代の番組より~ 第2巻 私の秘密」というDVDが発売されています。ただし、昭和33年1月2日、昭和39年9月28日、昭和42年3月27日(最終回)の三回分のみの収録ですので、運良く該当する放送回かどうか。。。ちなみに、それ以外でNHKに残っているのは昭和39年11月23日しかありません。個人で録画している方がいらっしゃれば、ぜひご一報いただければと願う次第です。

    アカイ|投稿日2012年07月17日 15:19

  • 始めまして、私の秘密に父が出演したのを、思い出して投稿しました。当時、父は陸上自衛隊の音楽隊の隊員をしてまして、出演したのを覚えてます、多分昭和38年以前だったと思いますが、私の秘密のDVDは有りますか?妻や息子に見せたいのですが!いかがでしょうか?

    ポンちゃん|投稿日2012年07月11日 20:16

  • 1961年アートブレイキーが来日したのですが、
    この番組に出たような記憶があるのですが?
    小学生だったので1961年かそれ以降かはっきり
    憶えておりません。

    あばちゃん|投稿日2012年01月30日 23:44

  • 昭和34年10月5日に収録された、「日本で最初のジャズ・サックス奏者」として前野港造氏が登場した回の映像は保存されているのでしょうか?
    この時、前野氏は門下生であった、服部良一氏、渡辺弘氏、松本伸氏、鶴田富士夫氏、渡辺良氏、紙恭介氏をバックにサックス・ソロで「ウィスパリング」を演奏。
    翌、10月6日、新橋第一ホテルにおいて前野氏の歓迎会が開催され、それがきっかけとなり「楽友会」が始まりました。
    岡山県玉野市に前野氏の資料館を作ろうと資料を集めております。おそらく、演奏する前野氏の映像はこの「私の秘密」のみだと思われます。
    大正末期から昭和初期にかけての日本ジャズの草創期に偉大な足跡を残した偉大なメンバーが終結した本当に貴重な映像です。是非情報をお願いいたします。

    shunn|投稿日2012年01月03日 15:44

  • ぜひ日本人馬賊王小日向白朗氏の私の秘密の映像があれば見たいです。よろしくお願いします。

    徒弟|投稿日2011年04月17日 09:04

  • 今は亡き夫の母は日本髪の美容師で出演した事がありその時の写真を見せていただきましたが今はその写真が無くなってしまい孫に見せてあげたかったが残念に思っていたところでした。

    モナリザ|投稿日2011年03月30日 22:53

  • 日本人馬賊王として著名な小日向白朗(本名:権松)氏が出演されたそうですが、その回の映像は残っておられますでしょうか?ぜひ見たいと存じております。

    馬賊|投稿日2009年12月09日 12:40

  • >更紗さん
    東久邇成子さんがゲスト出演した『私の秘密』は、1958(昭和33)年1月2日の放送ですね。「私は1月1日生まれで名前は“元旦”と申します」など、登場した4人の秘密を、レギュラー3人といっしょに当てました。
    さらに、最後の「ご対面」コーナーでは、「23年前、宮中に招かれて、お嫁さんの姿を見たいという照宮さま(東久邇成子さん)に花嫁姿を披露して、たいへん喜ばれました」という女性が登場。再会を果しました。
    この回の『私の秘密』はこれまで、『NHKアーカイブス』や『週刊お宝TV』で紹介したので、ご覧になった方も多いかもしれません。

    アカイさん|投稿日2008年09月01日 11:56

  • たぶん家族で見てはいたと思うんですけれど、よく覚えてないです。でも、「お宝TV」的な番組で現存するVTRを見たことはあります。
    いちばん驚いたのは、昭和天皇の内親王の、東久邇成子さん(照宮さま)がゲスト解答者で出演されてたことです。今だったら、黒田清子さん(紀宮さま)が「ふしぎ発見!」、違うっ(笑)、えっと~、NHKだから、「ためしてガッテン」とか「迷宮美術館」に出るようなものでしょ。(そういえば、NHKのテレビでこのごろクイズ番組や雑学系のものってあまりないですね。)
    今じゃ考えられませんよね。おおらかな時代だったんだなぁ~って、うらやましくもありました。
    番組の内容はあんまり覚えてないんだけれど、藤浦洸さんの風貌やお辞儀の仕方は覚えてます。紹介されると、両手をテーブルについて、両肘をあげて、なんていうか、バッタっぽい感じ?(笑)で、頭を下げるんですよね。「別れのブルース」や「東京キッド」を作詞された、高名な作詞家と知ったのはずっとあと、大人になってからでした。

    更紗|投稿日2008年08月29日 21:27