アカイさんノート: 2013/11/29

勝ち抜き歌謡天国

毎週日本各地を訪れ、その土地の歌自慢がプロの作曲家のレッスンを受けるというユニークな視聴者参加番組があった。カラオケブームのはしりの時期に、「少しでもうまく歌をうたいたい」というカラオケファンの要望に応えて生まれた『勝ち抜き歌謡天国』だ。準備から本番まで、番組が放送されるまでのプロセスや番組内容を振り返る。

アマチュアがプロのレッスンを受ける!

 1984年4月、新番組『勝ち抜き歌謡天国』の記念すべき第1回放送は「札幌名人決定!」だった。その後も、「仙台名人」「福岡名人」といった具合に日本各地を訪れ、歌唱指導を受けたいという出場者を募り、公開レッスンを繰り広げた。

 その内容は、5人の一般出場者と5人の作曲家がペアを組んで登場。まず5人の出場者が予選曲を歌い、そこから2人の決勝進出者が決定。2人はステージ上でペアを組んだ作曲家から決勝曲のレッスンを受け、その成果を競い合い、当地の名人が決定するというものだった。

 この本番のステージに立つ5人の出場者選びは、収録が行われる約2か月前にテレビの告知放送を通じて「番組で歌のレッスンを受けたい生徒」を募集、テープ審査からスタートした。出場希望者が送ってきたカセットテープは月平均約300本にもなったというから、審査する制作スタッフと作曲家の先生方にとって大変な作業だった。しかし1本ずつていねいに聴きながら審査し、10人から30人の予選参加者を決定していった。本番3週間前には番組開催地のNHKに集合、それぞれ自己PRと得意曲2曲を歌ってもらい本番出場者を決定した。

 晴れて選ばれた5人が、本番で歌う予選曲と決勝曲を決めたところでレッスン担当の先生を決定。先生のもとに出場者の歌ったカセットテープと歌詞カードを届け、先生は本番当日に生徒に歌い方を指示するための記号を書き入れていくことになる。この記号はレギュラー出演の8人の作曲家の先生方が、見やすくわかりやすい譜面にするために考案した番組オリジナルのものだった。さらに予選曲とレッスン曲のカラオケが出場者の音域に合わせて編曲され、ダン池田とニューブリードの演奏で録音。当日、本番前のリハーサルで先生のレッスンを受けて晴れの舞台に登場。一流のバンドが演奏するカラオケをバックに得意の歌を披露した。

 

一流作曲家の指導のもとプロ歌手も誕生

 この番組が何よりすごかったのは、レッスン担当の先生方の顔ぶれだ。市川昭介、猪俣公章、曽根幸明、中村泰士、平尾昌明、三木たかし、宮川泰、森田公一(五十音順)と、当代のヒットメーカーとして歌謡・ポップス界の第一線で活躍していた有名作曲家がずらり。個性豊かな指導ぶりや、親しみやすく温かい人柄などが人気を集めた。各先生方は、自身がペアを組んだ出場者を何とか名人にしようと熱心に指導。リハーサル後も本番までの間に会場の片隅で極秘レッスンを行う風景もしばしば見られたようだ。(グラフNHKより)

 レベルの高い出場者が集結して、毎回、激戦が繰り広げられた『勝ち抜き歌謡天国』。各地で名人に選ばれた出場者の中には、後にプロデビューを果たした歌手もいる。坂本冬美は和歌山で開かれた『勝ち抜き歌謡天国』の名人になったが、そこで出会った猪俣公章先生の内弟子となり歌手デビューとなった。ほかにも、藤あや子は秋田の名人。各地の名人が集結した『特集・勝ち抜き歌謡天国—全国名人大会−』(1984年)で優勝した武山あきよも演歌歌手としてデビューを果たしている。ちなみに、この大会で準優勝に輝いたのは森口博子だった。

 2年間にわたる放送期間中には、全国大会のほかに俳優やタレントなどが競い合う『オールスター勝ち抜き歌謡天国—オールスター名人決定』(1984年8月)や、世界のカラオケ自慢が演歌に挑戦した『勝ち抜き歌謡天国—外国人大会−』(1985年1月)なども放送。1986年3月放送の「和歌山市の巻」で幕を閉じた。

アマチュアが一流の有名作曲家から直接レッスンを受けるという、夢のような出来事を実現させてくれたのが『勝ち抜き歌謡天国』だった。テレビの前のカラオケファンにとっても、先生たちのわかりやすい歌唱指導は歌をうまく歌うコツやヒントになると評判が高かった。その後、ピークを迎えたカラオケブームの一助を担った番組だったともいえそうだ。