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2010年4月30日(金)
ことし(2010年)4月から、松本和也アナウンサーが司会を担当している『NHKのど自慢』。1946(昭和21)年のスタート以来、60年以上にわたって親しまれてきた長寿番組だ。
この"元祖・視聴者参加番組"が、かつて、打ち切りの危機に直面していたことは、あまり知られていない。
今回は、番組のルーツと、いまの番組スタイルにリニューアルされた"1970年の大改革"を振り返ろう。

戦後まもなく、ラジオ番組としてスタート
『のど自慢』が始まったのは、1946(昭和21)年1月19日。ラジオ第1放送の番組で、最初は『のど自慢素人音楽会』という番組名だった。
敗戦からわずか5か月後。戦後の荒廃と混乱の中で、ラジオが数少ない娯楽の中心だった時代だった。
番組を企画したのは企画魔として知られた三枝健剛プロデューサー。音楽家・三枝成彰氏の父である。こんな時代だからこそ、「国民に気持ちよく歌を歌ってもらおう」という考えからで、"マイクの大衆への解放"、"大衆化の象徴"という役割を担っていた。

『のど自慢素人音楽会』スタジオの様子(1946年2月撮影)
第1回の出場者は、ラジオのニュースで募集した。すると900人を超す応募者が東京・千代田区内幸町にあった放送会館に殺到した。担当者は、1日に300人ずつテストをして、番組に出演する合格者を選んだという。
番組はまもなく、ラジオ第1放送で毎週日曜の午後4時から30分間の定時番組となった。
第1回の放送は、高橋圭三アナウンサーが担当。その後は、高橋のほか、太田一郎、大野臻太郎、田辺正晴、大野拓、島野俊男、宮田輝らのアナウンサーが交替で担当した。
シンボルの「鐘」が生まれるまで
番組は翌年(1947年)の7月、歌のほかに演芸を加えて、番組名も『のど自慢素人演芸会』に変わった。
このころ、『のど自慢』を代表するあの演出が誕生する。合格・不合格を伝える「鐘」である。
番組のスタート当初、鐘はまだ使われておらず、合格の場合は司会者が「おめでとうございます。合格です」、不合格の場合は「もう結構です」と言葉で伝えていた。ところが、不合格の人が「歌の出来が"結構"」と取り違えて、ぬか喜びするケースが続出。そんな時、スタッフが楽器倉庫の隅にあった鐘を見つけて「これを鳴らせば・・・」ということになったとか。
その結果、合格・不合格もわかりやすく、番組のメリハリも付き、番組のシンボルにもなったのである。
番組の顔が抜け人気急降下、打ち切りの危機に
当初、5~6人のアナウンサーが交替で担当していた『のど自慢素人演芸会』は、1949(昭和24)年10月ごろから、宮田輝アナウンサーが毎週司会を務めた。

『のど自慢素人演芸会』(1958年撮影) 宮田輝アナ(左)(1959年撮影)
司会の宮田輝アナ(左)
宮田アナは17年あまりにわたって担当。その間、番組は1953(昭和28)年からテレビ放送も始まり、1960(昭和35)年にはラジオ・テレビで同時に定期的に放送され、人気を集めていた。
1966(昭和41)年、転機が訪れる。番組の顔であり、番組スタッフから"親方"と呼ばれていた宮田アナウンサーが新たに始まったNHKの大型公開番組『ふるさとの歌まつり』(1966~74年)に移ったのである。
後継は、大井安正アナウンサーが担当。翌年には大井アナが東日本、生方恵一アナウンサーが西日本を担当し、さらに1年後には、東北地方、九州地方など、ブロックごとに地域のアナウンサーが担当するように変わった。
こうして工夫をしてみたものの、長年担当した宮田アナの抜けた穴は大きかった。番組の内容も常連が何度も出てくるなど、マンネリ気味だったこともあり、視聴率が急降下(毎年2%ずつ低下した)。出場希望者も100人を切り、会場の客席も半分以上カラ、ということがままあったという。
こうした事態に、NHKの地方の放送局、特に受信料を担当する営業や、イベントを担当する事業サイドからも、「お客さんが入らないので、『のど自慢』はいりません」という声があがり、1960年代末にはNHK芸能局でも廃止論が出るようになっていった。
番組存続をかけ、大改革
1970(昭和45)年、番組存続をかけ、演出の一大改革が行われる。番組名は現在の『NHKのど自慢』に変更。中心となったのは、30代のデスクたちだった。
それまで、毎週の放送は、年1回行われる全国大会の"予選会"のようで、面白みに欠けていた。そこで、制作スタッフは1回1回の番組を面白くすることに重点を置いた。
まず、それまで30数人いた出場者を25人に絞り、1人あたりの時間を増やした。歌だけでなく、インタビューやゲストによる歌唱指導などを入れて、出場者のキャラクターを引き出すように努めたのである。
加えて、合格者の中から「今週のチャンピオン」を選んで番組のヤマ場を最後に設けた。さらに、不合格者の中から「熱演賞」を選び、歌がヘタでも個性的な人にもスポットを当てるようにして、番組を盛り上げた。
演奏も、それまでピアノとアコーディオンが交互に弾くスタイルから、5人体制のバンド(ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、シンセサイザー)に変更。テーマ曲も鈴木邦彦作曲の現在のものに変えた。
毎回、ゲストが2組出演するようにしたのも、この時からだった。
いまに続く『NHKのど自慢』の基本スタイルが、この大改革ですでに確立していたのである。
"ミスターのど自慢"の登場で人気回復
1970年4月の『NHKのど自慢』衣替えから4か月後の8月。司会の中西龍アナウンサーが、金子辰雄アナウンサーに交替する。

金子辰雄アナ
番組リニューアルの成果が現れてきたこのころ。庶民的で親しみのある人柄で16年8か月にわたり司会を務め、後に"ミスターのど自慢"と呼ばれる金子アナの登場で、『のど自慢』は急速に人気を取り戻すのである。
『のど自慢』が迎える打ち切りの危機、そこから起死回生の大改革のいきさつは、当時番組を担当したOBたちが「アーカイブス・カフェ」の座談会で詳しく語っている。
こちらも、ぜひご覧いただいきたい。
「アーカイブス・カフェ」NHKのど自慢(前編)
次回は、『NHKのど自慢』として生まれ変わった後、現在までの40年を振り返ってみよう。
『のど自慢素人音楽会』
◇放送期間:1946(昭和21)年1月19日〜1947(昭和22)年6月
『のど自慢素人演芸会』
◇放送期間:1947(昭和22)年7月6日〜1970(昭和45)年3月
『NHKのど自慢』
◇放送期間:1970(昭和45)年4月12日〜現在
◇放送時間:総合テレビ・ラジオ第1放送 日曜 12:15〜13:00
(2010年4月30日 記)

















60年以上続く人気番組にも
打ち切りの危機があった!