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ちょっとキザなNC9磯村尚徳が、NHKニュースのカラを破った!
2008年2月15日(金)
『ニュースセンター9時』は、1974(昭和49)年4月にスタートし、14年間続いた夜の総合ニュース番組。キャスターが自分の言葉で語りかけると共に、現場の映像と音声を生かす"現場主義"と、ニュースの当事者や取材者が現場から伝える "当事者主義"で、その後の日本のテレビニュースに大きな影響を与えた。愛称は『NC9(エヌシーナイン)』。

初代キャスター 磯村尚徳 2代目 末常尚志・勝部領樹

3代目 小浜維人 4代目 宮崎緑・木村太郎
のちに人気番組となった『NC9』も、その船出は決して順風満帆ではなかった。今回は、そんなスタート時の話をしよう。
常識破り!"語りかけるニュース"の登場
新番組『ニュースセンター9時』放送初日のオープニングで、キャスターの磯村尚徳(ひさのり)は、手にした預金通帳を見せながら、カメラに向かってこう語りかけた。「きょうから新しい年度が始まりました。これは、きょうから各銀行が一斉に売り出しました宝くじ付きの定期預金です。・・・出足はなかなか好調のようでした。この辺にも、インフレに苦しむ国民のささやかな夢が秘められているという気がします。」
『NC9』はそれまでのNHKニュースの常識を打ち破るものだった。それまでは、記者が書いた原稿をデスクが推こうし、一字一句間違えないように読むのがアナウンサー、キャスターの役割だった。しかし、磯村キャスターは、自分の言葉で、しかも話し言葉で語りかけるのである。さらに磯村は、政治や国会の動きをトップに、政治・経済・社会・国際などと、順番が固定化された従来のニュースを否定。ジャンルを問わず、視聴者の知りたいことを真っ先に、映像付きでわかり易く伝えることを提唱し、編集会議はしばしば大議論となった。
スタート当初は散々だった
そんな『NC9』も、スタート当初は散々だった。それまでのニュースになじんできた視聴者は、新しい発想と形式の番組に戸惑ったのだ。「NHKらしくない」「司会をしている、あのキザな男は何者か」など、苦情の電話が続いた。初日は10.1%だった視聴率も翌日から急降下。それまでの午後9時のニュースの3分の1前後に低迷した。外信部(現・国際部)の部長からキャスターに転じた磯村は、発足当時の『NC9』について後に、「正直に言って、大半が敵意に満ちて番組を見ていた。まさに四面楚歌」と語っている(「NHK報道の50年」)。
幅広いえりとフォード来日で人気広がる
番組スタートから2か月余りが過ぎ、磯村が着ていた幅広のえりの背広を女性週刊誌が話題にしたころから、都市部の主婦層を中心に人気が広がり始めた。さらに、'74年11月のフォード米大統領の来日が『NC9』定着の決定打となった。スタジオを出て都内のホテルのプレスセンターに陣取った磯村は、ワシントン特派員を7年務めた経験を活かし、日米首脳会談をサイドストーリーも含め徹底的に伝えた。この夜の放送は視聴率 30.6%を記録した。
長嶋引退をトップに
それまでニュースの添え物的だったスポーツを重視したのも『NC9』の特徴のひとつ。スポーツキャスターに福島幸雄アナウンサーを起用し、北の湖が21歳2か月の最年少記録で横綱に昇進した時('74年7月)や、巨人の長嶋茂雄選手の現役引退の日('74年10月)には、本人をスタジオに呼んで番組のトップで詳しく伝え、大きな反響を呼んだ。

長嶋選手スタジオ出演
こうして、"現場主義""当事者主義"の新しいニュース番組は定着し、のちの『NHKニュース・トゥデー』(1988-'90)『NHKニュース21』('90-'93)や、『NHKニュース10』(2000-'06)、『ニュースウオッチ9』('06―)など、夜の総合ニュース番組に引き継がれていく。
14年間続いた『ニュースセンター9時』の歴代キャスターは、みな個性派揃いだった。初代・磯村キャスターといえば「ちょっとキザですが」「私事で恐縮ですが」という語り口が流行語にもなったね。局内でのあだ名は「パンダ」で、キャスター控え室は「パンダ小屋」と呼ばれたが、この部屋の名称はキャスターが替わってもそのままだった。
2代目は社会部出身・勝部領樹と外信部出身・末常尚志のダブルキャスター。前任者とは違った渋い魅力があった。勝部キャスターが3年目('79年1月)に「南極から世界初のテレビ衛星生中継」リポートをしたことも覚えているかな。
3代目の小浜維人は政治部出身。学生時代、山岳部で鍛えた太い腕が自慢だったとか。
4代目は、ベイルート、ジュネーブ、ワシントンと特派員生活の長い木村太郎と、就任当時24歳、慶應義塾大学の大学院生だった宮崎緑。宮崎は、NHK『ジュニア・文化シリーズ』や『NHK特集』で科学に強いリポーターとして活躍後、異例の抜擢だった。木村・宮崎のコンビは最長の6年間続いた。
◇放送期間 1974(昭和49)年4月1日~1988(昭和63)年4月1日
◇放送時間 総合テレビ 月曜~金曜 21:00~21:40
◇歴代キャスター メイン/スポーツ/天気
1974年度 磯村尚徳/福島幸雄アナ/森田由紀子
75年度 磯村尚徳/福島幸雄アナ/森田由紀子
76年度 磯村尚徳/福島幸雄アナ/斉藤恵子
77年度 勝部領樹・末常尚志/福島幸雄アナ/若月純子
78年度 勝部領樹・末常尚志/福島幸雄アナ/古川小夜子
79年度 小浜維人/羽佐間正雄アナ/野田和美
80年度 小浜維人/羽佐間正雄アナ/友杉祐子
81年度 小浜維人/草野仁アナ/友杉祐子
82年度 木村太郎・宮崎緑/草野仁アナ/――
83年度 木村太郎・宮崎緑/――/――
84年度 木村太郎・宮崎緑/――/倉島厚
85年度 木村太郎・宮崎緑/――/倉島厚(月~水)・山下洋(木、金)
86年度 木村太郎・宮崎緑/――/倉島厚(月~水)・山下洋(木、金)
87年度 木村太郎・宮崎緑/――/倉島厚(月~水)・山下洋(木、金)
※磯村キャスター時代、サブキャスターとして伊藤鐄二アナが出演














今、“斜め45°”といえば滝川クリステルだけど(笑)、“斜に構えて”のポーズの先駆者といえば磯村さんですよねぇ?。
ニュース映像が流れたあと、キャスター席にカメラが戻ってきたときの、身を乗り出して映像を見てた様子の磯村さんの姿が新鮮でしたね。
ま、なにしろ今までのニュース番組らしくなくて、やっぱり先駆者ですね。
あと笑っちゃったのが、なんかニュースがたて込んじゃって、ニュースの順番が混乱したとき、木村太郎が「とっちらかってしまいました。」って言ったんです。
フツーのアナウンサーは言わないセリフだよなぁ?って思いました。
ところで、また誤字発見してしまいました!
「歴代キャスター」一覧の中で、「末常(すえつね」さんが「末恒」になってま
した。
文章の中では「末常」になってるのに、惜しい!!
(更紗)
投稿日2008年02月16日 08:40
磯村さんの頃からずっと見てました。番組が終わって今年でちょうど20年なんですね~。どのキャスターさんたちも、懐かしいですね~。
NC9って、「ベルばらブーム」の特集とか、それまでのお堅いNHKニュースではやらなかった文化流行ネタもどんどん取り上げて(今ではフツーだけど)、注目されたんですよね。そんな時のキャスターさんのコメントとか表情とかが印象に残ってます。
(ゆう)
投稿日2008年02月17日 02:25
>ゆうさん
“ベルばら”ブームの特集は、’74年8月の宝塚歌劇「ベルサイユのばら」初演以後の大ブームから、NC9の担当ディレクターが「これは文化面におけるニュースだ」と企画会議に提案を出したのが始まり。ところが、当時のデスクたちの反応は「“ベルばら”って一体なんだい?」だったとか。放送当日、磯村キャスターは「“ベルばら”という言葉は初め、私もスタッフも何のことだかわかりませんでした」と素直にコメントした。わからないことはわからないと言う。そんな姿勢が観ている人たちとの距離を縮めていったんだね。
(アカイさん)
投稿日2008年02月19日 10:59
>更紗さん
また誤字の連絡、ありがとう。うっかりしてました。
修正しましたのでご確認ください。
(アカイさん)
投稿日2008年02月19日 11:16
ニュースセンター9時と銀河テレビ小説とでワンセットっていう勝手なイメージがすごく強くて、どちらかというとニュースが終って直後に出る、流れ星のオープニング映像のほうが記憶に残ってるような・・・
(aki)
投稿日2008年03月14日 03:15
いやー。やっぱり宮崎緑さんがぴかいちですよ。
小・中学生の時見ていたのですが、彼女の清潔感と知的さに感動しました。現在、大学教授だそうですが、活躍をただただ祈るばかりです。
(みつ)
投稿日2008年05月18日 14:22
斉藤恵子さんは今何をされているのですか?ネットで調べても全然情報が出てきません。
(ひろし)
投稿日2008年06月18日 21:41
ニュースセンター9時は国際情勢に強かったように思います。
しかし、直前はローカルニュース枠だったはずです。
扱うトピックの雰囲気の落差が大きかったように記憶しています。
私、主に宮城県で見ていましたが、直前のローカルニュース枠が東北地方の天気予報で終わり、しかも「三陸沖の海上予報」などが報じられていたので。
閑話休題、この番組のオープニングタイトル、小学生のころの私にとっては「子供は寝なさい」みたいに見えました。今思えばニュースの内容も捨てがたいはずですが。
(名無しの権兵衛)
投稿日2011年07月31日 13:06