青森県の戦争体験

太平洋戦争時、青森県は日本の北の防衛の拠点とされ、多くの軍に関連する施設があったほか、弘前市は陸軍部隊の編成地となりました。青森をはじめ岩手、秋田、山形出身の兵士たちを集めて弘前で編成された師団は激戦地に送られ、多くの犠牲を出しました。とくに満蒙国境に配備された107師団は、終戦間際のソ連侵攻の矢面に立ち、終戦を知らぬまま、8月末まで戦い続け、生き残った兵士はシベリアに送られました。

また、青森市は、終戦間際に米軍のB29や空母艦載機の空襲、機銃掃射を受けました。その中でも昭和20年7月28日の青森大空襲の際は、避難を禁じられた市民が罹災し、東北地方で最大の空襲被害となりました。

このサイトでは、ソ連軍との戦闘ののちシベリア抑留を体験した107師団の兵士や、青森大空襲を体験した人々の証言を中心に、関連の番組、当時のニュース映画を公開します。

地域の戦争の記憶を次の世代に伝えていくために、ぜひこのサイトをご活用ください。


空襲で焼け野原になった青森市