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柔道の全国最高峰の大会に初出場 ~"二足のわらじ"の柔道家の挑戦~

執筆者浅井遼(記者)
2022年05月17日 (火)

柔道の全国最高峰の大会に初出場 ~"二足のわらじ"の柔道家の挑戦~

突然ですが、私(記者=浅井)は柔道経験者です。中学高校と6年間、青春の汗を畳の上で流しました。得意技は内股、寝技は苦手。地元の愛知県ではそこそこの…と自慢したい訳ではありません。

そんな(元)柔道少年をはじめ、多くの柔道家が憧れる大会が存在するのです。

柔道家が憧れる畳

柔道の全日本選手権

それは柔道の全日本選手権です。最大の特徴は体重無差別で階級を分けずに日本一強い選手を決める、まさに柔よく剛を制すという柔道を体現する全国最高峰の大会です。

柔道界のレジェンドたちがその畳の上で活躍

過去には青森市出身のオリンピック金メダリスト斉藤仁さんや古賀稔彦さん、井上康生さんなど、まさに柔道界のレジェンドたちがその畳の上で活躍しました。

斉藤仁さんを父に持つ斉藤立選手が初優勝

ことし4月29日に行われた大会には、オリンピック出場選手や各地の予選を勝ち上がった選手など選ばれし47人が出場。斉藤仁さんを父に持つ斉藤立選手が初優勝を果たし、親子2代での優勝は話題となりました。

二足のわらじの柔道家

ことし3月、私は青森県三沢市の柔道関係者から「全日本選手権に初出場する人が三沢市にいる」という話を聞きます。何でもある事情があって、去年4月から故郷の三沢市に戻って生活しているといいます。

選ばれし47人の1人がここ三沢に?!これはぜひ会ってみたい。
私は早速、連絡先を入手し、取材を始めました。

田中大勝(25)選手

三沢市に住む田中大勝(25)選手。今回の主人公です。
5歳の時から柔道を始め、青森北高校を経て早稲田大学に進学。得意技は内股と寝技。学生時代は90キロ級の選手として全国で3位に入ったことがある実力者です。

ことし3月、選手登録する愛知県の実業団の選手として出場した東海大会で2位となり全日本選手権の出場権を獲得しました。

もう一度言いますが、全国最高峰の大会。さぞ、中身の濃い練習漬けの日々かと思いきや…。

家業を継ぐため、三沢市で水道工事の仕事に励んでいます。

軽トラックで登場した田中選手は柔道着ではなく作業着姿。大学時代など、東京を中心に活動してきた田中選手ですが、今は父親との約束で家業を継ぐため、三沢市で水道工事の仕事に励んでいます。早朝から夕方まで現場で汗を流す毎日。まだまだ慣れないことも多いといいます。

1日中、現場で働いたあとは…。

田中選手

「三沢アイスアリーナに行ってトレーニングをします。時間が限られているので短い時間でしっかり追い込めればと思います」。

向かったのは市民に開放されているトレーニング室。

三沢市では田中選手の練習相手がなかなか見つからないばかりか、新型コロナウイルスの影響で県内の道場への出稽古も全くできていません。

そのような中、筋力トレーニングに力を入れています。意識しているのはどのような相手でも引きつけ投げきるパワーを養うこと。

トレーニング中の田中選手

トレーニング室の設備も十分とは言えず、先に利用者がいる場合は、予定していたトレーニングメニューをこなせない時も多々あるとか。

けっして恵まれた環境とは言えませんが、田中選手は前向きに捉えています。

田中選手

「三沢に来てやはり練習相手も少なくなりましたし練習のできる日数も減った。(その分)練習が始まったら100%力が出せるような状態で練習に臨めていたのは意識的に変わってよくなったことかなと思います」。

三沢市に戻って以来、練習時間は急激に減りましたが、その分、自分の柔道と向き合う時間が増えたといいます。
どこが長所でどこが改善点か。1つ1つ自分の柔道を見つめ直し、1回1回の練習やトレーニングの機会をおざなりにしない。田中選手は学生時代とはまた違った視点で柔道のレベルアップを図っていたのです。

髙藤直寿選手

大会1か月前、「初戦の相手が決まりました」と田中選手から連絡を受けた私。なんと相手は東京オリンピック男子60キロ級の金メダリスト髙藤直寿選手です。ことし秋に行われる世界選手権にも出場予定の世界的実力者です。

勝利へのカギは?

田中選手の母校・早稲田大学柔道部

試合直前。田中選手の姿は母校・早稲田大学柔道部の畳の上にありました。俊敏な髙藤選手も意識してしっかり組んで投げきることを心がけます。

大会直前は軽めの調整をするのが普通ですが、田中選手にとっては貴重な練習時間。あえてハードな練習メニューをこなします。100キロ超級の後輩選手とも立ち技の攻防。

作業着の時や三沢市のジムでたまに見せる朗らかな表情とはまた違う、柔道家の姿がそこにありました。

寝技に取り組む

特に意識して取り組んだのが寝技です。立ち技からスムーズに得意の寝技へ引き込めるかが勝負のカギと考えたのです。

内股や裏投げ、そして最近、挑戦し始めているという世界柔道ではおなじみの肩車など、さまざまな立ち技から寝技への移行の動きを1つ1つ確認するように練習を続けます。

田中選手

「オリンピック金メダリストということに萎縮することなく、自分が体重が多い分プレッシャーをかけて潰れたところで、寝技でしとめるということを初戦は意識して戦う。自信をつけて試合の畳にあがろうと思います」。

日本一強いのは誰なのか?

日本武道館

大会当日の朝を迎えました。舞台は柔道の聖地で東京オリンピック・パラリンピックの会場でもあった日本武道館です。

一番強いのは誰なのか。戦いの幕が切って落とされました。

田中選手の初戦

いよいよ田中選手が初戦を迎えました。序盤、髙藤選手の素早い動きと組み手争いに苦戦します。

豪快に裏投げを決める

しかし、相手が技を仕掛けて接近した瞬間を見逃しませんでした。豪快に裏投げを決め、技ありを奪います。

腕ひしぎ十字固め

そして、何度も練習してきた寝技への移行。最後は腕ひしぎ十字固めで一本勝ちしました。

2回戦の相手は100キロ超級。体重差45キロもある選手に善戦するも有効をとられて敗れました。

初めて憧れの畳の上に立った田中選手。その目はすでに次のステージを見据えていました。

田中選手

「初出場ということで何もかも初めてで、浮き足だってた部分もあったので、次もう一度、全日本選手権にチャレンジできるように練習したい。90キロ級では日本代表として世界で戦っていけるような選手を目指して頑張っていきたい」。

学生時代からのライバルたちが世界の大会で活躍するのを見て、自分もその舞台に立ちたいと思うようになったという田中選手。

今後も三沢市で本業の水道工事のスキルも磨きつつ、柔道も極めるため努力を重ねるといいます。

今回の田中選手の物語はここでひとまずおしまいになりますが、全日本選手権出場を契機に、世界のタナカとして活躍してほしいです。

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