『エリン こぼれ話――原作者のアニメ監修日誌――』(14)
第14回 エリンの香り
『獣の奏者エリン』は、とうとう最終回を迎えました。
エリンの力で、世界は平和をとりもどしたのです――というような、きれいな解決と結末を期待しておられた方も、おられたかもしれませんね。
でも、私は、「ひとりの人間の行為によって、世界が平和になる」というようなことがあるとは思えないのです。
「いまより少しマシな社会の形」――それは、この世に生まれ、死んでいく、すべての人々の、気が遠くなるほど地道な試行錯誤の繰り返しの中で、生じては否定され、生じては修正されることでしか、生まれ得ないものだと思っています。
人の一生は短くて、ひとりの力は小さすぎて、さしたることも為せずに消えていく泡のようなものですが、それでも、いま、わたしたちが暮らしている社会は、そういうちっぽけな人間ひとりひとりが「生き、為した」ことによって生まれてきたものです。
エリンは、迷い、悩み、考えながら歩いてきた道の上で、多くの他者(獣や人々)と出会い、様々な「音」を奏でてきました。
その道の果てに辿り着いた「降臨の野(タハイ・アゼ)」で、死にかけていた彼女が耳にしたのは、思いがけない調べでしたが、それはしかし、彼女がこれまでの人生の中で、一生懸命、試行錯誤しながら奏でつづけた「音」がなかったら、決して、生み出されることがなかった調べだったのです。
ちっぽけな人間の、短い人生ではありますが、わたしたちは、その道を歩きながら多くの音を奏で、多くの他者が奏でている音と、ときには共鳴し、ときには不協和音を生みながら、複雑な調べを生みだしていきます。
この世は、私たちが奏でている音が響きあって生まれている、壮大な調べなのだと、いえるかもしれません。
『獣の奏者エリン』全50話は、私が書いた『獣の奏者』<闘蛇編><王獣編>のみをアニメ化したものですが、私は、その後のエリンの人生を書き継ぎ、この夏、<探求編><完結編>として世に送り出しました。
エリンが妻となり、母となった後の人生を描いた物語です。
浜名監督や布施木さん、藤咲さんたちには、本として出版される前の生原稿の段階でお渡しし、読み終えた藤咲さんから、あるエピソードについて、「ウエハシ、コロス!」と言われたりもしましたが(笑)、彼らは私が書いたこの続編を、アニメのラスト・シーンに見事に活かしてくださいました。
エリンが、母ソヨンから渡されたもの。
エリンの息子ジェシが、母エリンから渡されるもの。
エリン(山リンゴ)は、いま、アニメという姿を借りて、あなたの手にも、手渡されました。
どうか、このリンゴを思う存分味わって、得た種は、自分なりのリンゴに育てて、誰かに手渡してあげてください。
爽やかなリンゴの香りが、この世に満ちていきますように。
最後に、『獣の奏者』という物語を、見事に、『獣の奏者エリン』という新しい調べに紡ぎ変えて世に送りだしてくださった、浜名監督、布施木さん、藤咲さんはじめ、すべての制作スタッフ、エリンたちに命を吹きこんでくださった声優さんたち、そして、一年にも渡るこの長いアニメを観つづけ、応援してくださった視聴者の方々に、この場を借りて、心からお礼を申しあげます。
どうもありがとうございました!
上橋菜穂子



