『エリン こぼれ話――原作者のアニメ監修日誌――』(13)
第13回 傍観と選択
「降臨の野(タハイ・アゼ)」を見つめていたセィミヤの迷いを、一瞬にして吹き払ったのは、ダミヤの一言でした。
「あれは、そなたの軍だ」――ダミヤが不用意に発してしまったこの一言は、真王であるセィミヤには、決して、言ってはならない一言だったのです。
「真王」という存在を支えている最も大切な根幹は、「人々の血を流す戦を否定している」ことにあります。
現実には、この時代、攻められれば国を守らねばならず、戦は不可避なのですが、それでも、かろうじて人々の心に、「戦は根本的に穢れた行為なのだ、なんとか避ける方法を考えるべきものなのだ」という思いを燈しつづけ、闘蛇という圧倒的な軍事力を持ちながら、他国を蹂躙していく侵略者にならぬよう、手綱を引きつづけてきたのは、真王が、一切揺らぐことなく、この思いを民に示してきたからなのでした。
ダミヤは、そのことをよく「理解」していますが、「戦を嫌う」ということは、彼にとっては政治の手段に過ぎません。その本心が、あの一瞬、口をついて出てしまったのでした。
そして、エリンからダミヤの行為を聞かされていたセィミヤは、その一言に、ダミヤの心の底にあるものを見たのです。
同時に、セィミヤは、「戦を否定する」ということが、観念だけでは保ちえず、刻一刻と変化していく状況のなかで、行動しながら対処せねば、実効性がないことなのだ、と、気づくのです。
その瞬間からのセィミヤの変化を、監督は見事に描ききってくださいました。
セィミヤの表情の変化とともに、みったん@セィミヤの声が、すうっと変化していく様は、観ていて鳥肌が立ちました。
幾重にも張り巡らされていたダミヤの計画は、やがて、エリンを、最もしたくない選択をする瞬間へ、否応なく押し出していきます。
あくまでもリランを飛ばさず、武器として使わず、シュナンを見殺しにする、という選択もありえたでしょう。
しかし、エリンには、その道を選ぶことはできませんでした。
自分の選択が、何を引き起こすか、エリンはよくわかっています。
これまで一緒に生きてきたリランが、どう思っているか、なにをしたいのか問うことも出来ずに、ただ裏切り、音無し笛で縛って命令し、武器として使うこと。
闘蛇や、闘蛇乗りたちを殺すこと。
それらは、エリンが、自分の命に代えてもしたくないと思い続けてきたことでした。
エサル師や子どもたち、ユーヤンたちの命は決して儀性にはできませんから、彼女らの命を救いながら、リランを飛ばさずに済む、ただひとつの方法は「自分という存在を無き者にする」ことですが、その道を選んでも、あるいはナソンのように傍観者の道を選んでも、たったいま目の前で殺されようとしているシュナンは見捨てることになるのです。
エリンの選択を、「霧の民」の助言も聞かずに自分がしたいようにしてきた結果じゃないか、結局は愚かなんだ、と、思われますか。そう思う方は、『獣の奏者』の<探求編>と<完結編>を読んでみてください。傍観者であることの意味を、ぜひ、考えてみてください。
彼女が飛ばなかったら、訪れるであろう未来。
その未来の方が良い、と、あなたは思われますか。
あなたがエリンと同じ立場であったなら、どういう道を選び、どう生きてきたでしょうか。
どちらを向いても闇しか見えぬ状況の中で、エリンは、自分が、たったひとつ灯すことができる光を、灯すために飛び立ちました。
エリンが幼い頃から紡いできたすべての弦が、いま、ひとつの調べを奏ではじめています。
残すところ、あと一話。
「降臨の野」に、どんな調べが響き渡るか、どうぞ、聞いてください。
上橋菜穂子



