『エリン こぼれ話――原作者のアニメ監修日誌――』(12)
第12回 夜明けの光
48話のラストで、「降臨の野(タハイ・アゼ)」に夜明けの光が射し、広大な野を生まれてはじめて目にしたセィミヤが涙するシーンは、『獣の奏者』を書いていたとき、私がとても好きだった場面のひとつです。
私はこの場面を、こう書きました。
目の前にひらけた風景に、セィミヤは息を飲んで、立ちつくした。
視界の果てまで広がる野に、曇天の雲間から、いく筋もの光がふりそそいでいる。雲は重苦しい灰色をしていたが、日を孕んでいる所は鈍い銀色に輝き、強い風にあおられて、細くたなびいて流れていく。魂もまた、風に乗って広い野に運ばれてしまいそうだった。
「……泣くことはない、セィミヤ」
やさしい声が聞こえた。いつの間にか、ダミヤが、そっと守るように脇に立っていた。言われて、セィミヤは、自分の頬に涙が流れていることを知った。
「闘蛇があれだけ集まれば、たしかに、それなりの威容だが、あれはそなたの軍なのだ。恐れることは、なにもないよ。」
ダミヤの言葉に、セィミヤは首をふった。
「……闘蛇の軍など、見ていなかったわ。」
なぜ、目に入らなかったのか不思議だったが、言われるまで、闘蛇の大軍は見えていなかった。黒々と鱗をつらねる闘蛇の群れと、その背に乗った、煌びやかな鎧を纏った戦士たち。たなびいている千の旗。――そのすべてが、いままで、風景の一部にしか見えていなかった。
セィミヤの心をふるわせたのは、天と地の姿そのものだった。
生まれてはじめて目にした、おのれが生まれた地の姿は、荘厳でうつくしく、何より、信じられぬほど広大だった。
これを読んでいただければ、アニメが、どれほど見事にこのシーンを再現したか、感じていただけると思います。
その瞬間まで、広大な大地をその目で見たことがなかったセィミヤという娘の思いが、夜明けの光に乗って広がっていく、この場面に、私は様々なことを収斂(しゅうれん)させました。
セィミヤを愚かだと思っている人が多いようですが、彼女は決して愚かではありません。
私は、この物語を書き終えたとき、セィミヤという人が背負って生きなければならなかったことの重さに茫然とし、ついに彼女の荷を軽くしてあげることができなかったことに、やるせない思いを感じました。
為政者であるなら、重荷を背負って当然? ……私は、そうは思いません。
同じ社会で生きているのですから、私たちはみな、本来、為政者と同じ荷を背負っているはずなのです。
為政者を「悪」、戦を「悪」であると描けば、「正義」の在りどころは見えやすいでしょう。でも、そういう書き方をした瞬間に「見えなくなるもの」をこそ、私は大切に描きたかったのです。――そして、スタッフのみなさんは、そのことをしっかりと受けとめて、このアニメを描いてくださったのでした。
48話のコンテを拝見したとき、もうひとつ印象的だったのが「儀礼」を使った演出でした。私の原作にはない表現なのですが、これには感嘆しました。
さすが、布施木さん! なんとも見事な「儀礼」の使い方でありました。
文化人類学がお好きな方なら、もしかすると、私が影で糸を引いたんじゃないかと思うかもしれませんが、そうじゃありませんので、念のため(笑)。
堅い話から一転して、最後に、みなさんへの「ここ、ぜひチェックしてみて」と、「イケメン語り」を。
1.「ここチェック!」
→ 吹雪で気づかないかもしれませんが、ユーヤンの「幸せぶり」が見える場面があります。
相手はもちろん、カシュガンです。
ぜひ、チェックしてみてください。
2.「イケメン語り」……は、一言だけ。
イアル VS キリク ……スタッフのみなさん、ごっつあんでした!
上橋菜穂子










